2008年10月19日(日)、石川県輪島市門前町周辺で『全日本実業団サイクルロードレースin輪島大会』が開催されました。 =以下、西選手からのレポート= 今年からスタートした,実業団レースにおける年間女子ランキング制度の「J フェミ ニン」シリーズの最終戦は,能登半島地震からの震災復興イベ ントとして石川県輪島 市で行われた。 コースプロフィールを見ると登りと下りが殆どで平坦部分は2km 位しかない。 1周 の標高差は約315m もある上に,下りもつづら折れ部分が多く,登板力と共に下りの テクニックも問われる難易度の高いコースであることが予想される。 参加メンバーから考えると,集団でレースが進むとは考えられず,個人タイムトラ イアルのようなレース展開が予想される。 レース当日も快晴となるがAM8 時と早いため少し肌寒い。スタート後の1 番目の登 坂は,2.5km で215m の標高差を登る。チーム監督との相談では,1 周目は様子を見て 2 周目の登りで勝負をかけるという予定でいた。 スタートしてすぐの登りであっという間にJ フェミニンリーダーの豊岡英子選手を 含め選手は4 名に絞られてしまう。他の選手の様子を見て登る予定でいたが,今回も 私の気まぐれで1 度 スピードを上げてみた。付いてきたのは豊岡選手のみで予想はで きていた。彼女の調子がどの位なのか,もう一度 スピードを上げてみた。きつそうだ がまだ付いてきた。その後は最初の様子を見るという作戦はすっかり忘れて, さらに もう一度スピードをあげて,登り始めて1 キロ地点で彼女を振り切ってしまった。そ れにして私の自転車は軽い!私のFOCUS IZALCO TEAMフレームは出場選手中最軽 量に近い。自転車も軽いが,身体も軽く調子が良い。 後は頂上まで後ろを振り返らずに登った。スタートから約3 キロ地点の頂上で40 秒 差。下りのテクニカルな部分は慎重に下り,平地部分はスピードを維持することに努 めて走り,2 つ目の登りは心拍が上がり過ぎないように心拍計を見ながらスピードを維 持した。2 つ目の登り頂上で60 秒差。後ろに選手の姿は目視できなかった。 2 周目の登りはさすがにきつかったが,軽いギアでペースが落ちすぎないように後は ガマン。その後2 つ目の登りと平地は審判車から「西!男子の集団に追いつかれるな!」 と激が飛んだので,なぜか後ろから来る男子に追いつかれないよう必死に走る事とな った。 終わってみれば,後ろと1 分30 秒の大差を付け,両手を挙げてゴールするこ とがで きました。 輪島市での第一回大会,実業団最終戦で優勝でき,今回は「絶対優勝」を目的に自 分にもプレッシャーをかけて準備してきたので喜びもひとしおです。 残りのJapanCup も体調を維持してチャレンジをしたいと思います!
2008年10 月4 日(土)、福島県いわき市で『全日本実業団クリテリウムin いわき』が開催されました。 =以下、西選手からのレポート= 先週の涼しさがウソのように気温が上がり,女子のスタートは午後2 時50 分のスター トになった。先週に比べ寂しいスタート人数だが,J フェミニンリーダーの豊岡選手と飯 田で優勝した針谷選手が来ていた。 スタートと同時に豊岡選手がスタートアタックをかけた,自分もスタートアタックを するつもりでいたので,出鼻を挫かれたが,そのあと続けて私がアタックをし,1 周目で 6 人に絞られた。 4周回目で1 人脱落して5 人になった。ローテーションをして入るのは,私,豊岡選 手,針谷選手のみ。 その他2 人の選手はコーナーのたびに私達3 人から離れ,追いつきを繰り返し,6 周目 では3 人になってしまった。 3 人になってからは,コーナー手前から豊岡選手がアタックをかけたり,針谷選手が緩 い坂でアタックをかけたりと時々スピード変化はあるものの,3 人は崩れる事なくラス ト周回に入った。 その時点で先頭に出てしまい,牽制が始まってしまった。後ろに下がりたかったのだ が,下がれない・・・。 そして,後ろを気にしつつラストの緩やかな坂を登り,最終コ ーナーに入った。なんとか他の2 人を前に出そうとコーナーをアウトに振って通過した ところ,イン側から2 人がダッシュを始めた。その後ろに付いたが,追い風が運のつき で2 人の勢いは衰えることなく, 私は2 人をまくる事ができなかった。 3 人でラスト周回に入った時点でもう少し位置取りを計算しながら走らなければなら なかった。3 人の中では自分が一番ベテランなのに反省しなければならない。 苦手なクリテリウムだが,久しぶり自転車らしいスピードのあるレースで興奮をした。 次こそ優勝,優勝!・・・最近例年になく優勝に固執し,2 位,3 位が悔しいです。ただ 緊張感のある生活ができるのも幸せだと思っています。 以上
2008 年9 月28日(日)、長野県飯田市で『第4 回全日本実業団サイクルロードレースin 飯田大会』が開催されました。 =以下、西選手からのレポート= 「経済産業大臣旗争奪全日本実業団対抗サイクルロードレース大会」ではラッキーな 優勝を得ることが出来たが,「展開に恵まれた優勝」と言われたくない為に当初参加す る予定では無かった「全日本実業団サイクルロードレースin 飯田大会」にも急遽参加 することにした。 実はこの大会に参加するのは初めてだ。土曜日に現地入りし,念入りに試走をする。 長い坂は2 箇所で前半の坂は斜度がきつく,後半の坂は比較的緩くて長く続く。また, 下りはテクニカルな部分もあるが,直線部分も長く,差が付きそうにない。前半の急 坂でペースを上げて,後半の坂でもう一度アタックをかければ勝負ができると予想し た。 レース当日はアップをして静かにスタートを待った。楽な登りではないので,普通 に走っても人数が絞られることを予想して最初の坂はまわりに合わせて登っていた。 坂の中盤で針谷選手がスピードを上げたので,それが収まったところで様子見のアタ ックを掛けてみた。そこですでにメンバーは5,6 人に絞られていた。すぐに下りに入り, 後半の登りでもう一度アタックをかけたら,付いてきたのは針谷選手1 人だけだった。 早すぎたけど,一応予定通りの展開に持ち込めた。 その後は2 人でテクニカルな下りを下り,平坦部分は協力して後ろを引き離しにか かった。1 周回目終了時点で後ろとの差は15 秒。 2 周目に入って,登りを終えた時点では後ろと35 秒の差が付いていた。後は2 人の 勝負だと思い。相手の様子を伺いながら走り始めた。2 周目終了時点で後ろとの差は 45 秒に開いていた。3 周目の登りに入ると,所々で針谷選手が私を引き離そうとダッ シュをしたが,それには離される事は無かった。ゴール勝負になりそうだったので, アタックに反応しながらも足を休めた。最後の下りにさしかかり,ギアをアウターに 入れたとたんにペダルがロックした。変速をしながら,様子を見たが全くペダルが動 かない・・・。仕方が無いので停止をして,よく見るとホイールが曲がってついてい て,チェーンがフレームとの間に挟まって動かなくなっていた。急いでクイックを外 して,ホイールを正常に付けなおし,再スタート・・・。ゴールまでは平地部分の数 キロしか残されておらず,ゴール勝負をするはずの針谷選手には追いつくことができ なかった。前半から積極的に走っていたので,とても悔しい2 位となった。 しかし,自分ではめたホイールルのクイックの締め方が弱かったのだから,自分の 責任だ。今後はこのような事が無いように,スタート前の機材チェックは入念にした いと思う。 この次のレースはいわきのクリテリウムです。得意ではありませんが,優勝目指していきたいと思います。 今後とも応援よろしくお願い致します。
6月8日(日)、秋田県南秋田郡にて『2008 年全日本選手権個人タイム・トライアル・ロード・レース大潟大会』が開催されました。 =以下、西選手からのレポート= 先週行われたロードレースから1 週間後の6 月8 日(日)に,全日本選手権個人タイ ムトライアルが秋田県大潟村ソーラースポーツラインにて開催された。他人と戦うロ ードレースとは違い,タイムトライアルは自分との戦いである。自分との戦いが苦手 1 は私にとっては,個人タイムトライアルはかなり苦手な競技だ。 今年は,ダイワ精工からフレームを貸与していただける事になり,初めてタイムト ライアル専用マシン(CORRATEC C-TIME )を手に入れ,機材は万全! しかし肝心の私自身は選手生活10 年を超えるが,未だにペース配分を安定させること を心得ていない・・・。 前日土曜日の早朝に千葉を出発し,秋田までの遠い道のりを車でひた走り,お昼過 ぎには会場に到着し,試走を行った。 強風が名物のソーラーラインは,起伏が全く無いド平坦で,コース自体の難易度は低 いが,折り返し地点でのヘアピンコーナーでは,転倒する選手もたまにいる。コース を2 周試走した感じでは,今までで一番フォームもしっくりするし,足も軽く感じる。 たしか先週も同じような感じだったのだが,結果は・・・。 今回も同じようにならないといいのだが・・・。 レース当日はAM7 時に会場に入り,ローラー台で入念にアップしてスタートライン に付いた。 昨年6 位の私は,本来なら最後から6 番目にスタートするはずだが,今年は沖美穂選 手(メッキーニ)と真下正美選手(ブリジストンエスポワール)がエントリーしてい ないので,最後から4 番目スタートだ。目標タイム自己ベストを更新する22 分台で走 る事。 追い風の中をスタート。毎年復路の事を考えて,往路を抑え目にして走っていたが, 今年はチャレンジする事にしていたので,復路の事は一切考えず追い風の中を踏み込 む。荒れている箇所を避けながら限りなく最短ラインを取る。 やがて折り返し地点が見えてきた。慎重にU ターンして加速を開始。 折り返したら,当然だが向かい風に変わる。メーターを見ると,36km くらいしか出て いない。走りながらギアを1 枚落としてみたがスピードがさらに落ちるので,再度ギ アを上げてなんとかスピードをキープする。 ラスト1 キロがんばってもう一度スピードを上げてゴール。タイムは23 分31 秒。 今回,機材は過去最高で望んだにも関わらず,目標をクリアする事ができなかった。 この種目は正直苦手である。ロードでは絶対負けない相手にも,この種目ではいつ も後塵を拝している。しかし,敢えて自分の能力を見るために毎年この種目に参加し ている。そして,この結果を受け止めて気持ちを引き締めて今後のトレーニングに励 みたい。 今週末は全日本3 連週の最後である,ピストのポイントだ。 これも,専門外ではあるが専門外であるだけにチャレンジできると思っている。後悔 する事の無い展開をしたいと思う。
5月31日(土)と6月1日(日)の二日間、広島中央森林公園にて『全日本選手権兼オリンピック選考会』が開催されました。 =以下、西選手からのレポート= 今年はオリンピック代表の最終選考レースも兼ねるため、各チーム例年以上に気合が入るレース。注目度も高くギャラリーも多く詰めかけ、両日とも天気に恵まれたこともあり、非常に盛り上がっス大会となりました。 ラバネロはU23(23歳未満)クラスに出場した若手ホープの平塚吉光が、見事3位表彰台に立ちました。 また、女子クラスでは、ベテランの森本朱美と西加南子が、それぞれ5位と6位に入賞しました。男子エリートとジュニアでは、パンク等のトラブルが重なり、完走者なしに終わりました。 31日、「第77回全日本アマチュア自転車競技選手権大会ロードレース」として開催されたU23のレースは、1周12.3kmの周回コースを13周する、159.9kmのレース。ラバネロからは平塚吉光がただ一人参加となります。レースはスタート直後から有力選手が動きを見せ、1周目終了時には11名の先頭集団が、後続メイン集団に1分弱の差を付けてます。ラバネロ平塚も入ったこの集団は、実業団チーム所属の選手と、ジャパン強化指定で海外遠征経験のある選手、海外チームに自転車留学している選手で構成され、レース序盤にして決定的なグループとなりました。 先頭グループはハイペースで先頭交代を繰り返し、数名の脱落者を出すものの、そのペースは衰えず、メイン集団との差は周回を重ねるごとに開いていきます。メイン集団からは追走の動きも見えるものの散発的に終わり、勝負の行方は完全に先頭グループに絞られます。残り3周回で先頭は、ラバネロの平塚、内間(鹿屋体育大学)、福田(ブリヂストンアンカー)、中村(京都産業大学)、中山(コルナゴ)、小森(ダイハツボンシャンス飯田)の6名となります。 残り3周の登りで内間がアタック。小森がこれに付き、先頭は2名になります。平塚はちょうど先頭交代のタイミングで集団後方に下がっており、反応が遅れてしまいます。僅かな差で追いますが、差はなかなか縮まりません。内間、小森の先頭と、平塚、中村の追走の形で、最終周回に突入します。最後は内間のアタックをかわしてカウンターアタックを決めた小森が、そのまま独走で入り優勝。内間が2位。平塚は登りで中村を振り切り、見事3位に入りました。 昨年シーズン急速に力を付けた平塚。U23日本代表遠征などでも実績を積んできましたが、今回、国内で一番の大舞台でも大きな結果を残したことで、今後の活躍がさらに期待されます。 今シーズン後半も、実業団大会とU23日本代表を中心に活動し、世界選手権出場を目指します。 同日開催されたジュニアの大会には、U19のレースに河野拓、檜山一博、假谷岳(練馬工業高校で出場)の3名が出場しましたが、パンクなどのトラブルでそれぞれ集団から遅れ、いずれも完走はなりませんでした。 1日、オリンピック代表選考レースとなる「第11回全日本自転車競技選手権大会ロードレース」は、まず女子のレースが開催。7周回86.1kmで争われます。ラバネロからは森本朱美と西加南子の両ベテラン選手が出場しました。 レースは1周目から人数が絞られる展開。7名の先頭集団が形成され、森本と西もこれに入ります。残り2周に入り、大会10連覇中の沖美穂(メニキーニJPCA)がついにアタック。単独で後続を引き離しにかかります。これを萩原、豊岡、山島の3名が追走。少し離れて、森本と西が続きます。結局、沖が独走で11連覇を達成。ラバネロの森本と西は、それぞれ5位と6位に入賞して、ベテランの存在感を見せました。 続く男子エリートのレースは、16周回196.8kmで争われ、ラバネロからは米山一輝、浅野和成、鎌田圭介の3名が出場しました。しかしラバネロ勢はトラブルに見舞われます。米山はスタート直後の1周目にパンクで遅れ、浅野はかねてから悪かった腰痛がレース中悪化。そして鎌田もレース中盤にパンクで遅れてしまい、それぞれリタイアとなってしまいました。レースは最後4名に絞られた先頭集団のゴールスプリントを制した野寺秀徳(シマノ)が優勝しました。
5月18日から25日にかけ、『第12回ツアー・オブ・ジャパン』が開催されました。 =以下、西選手からのレポート= 全7ステージ、総走行距離879.8kmで争われる、国内最高レベルのステージレースです。ラバネロは第1回より参加しているこの大会に、今年も参加。鎌田圭介、浅野和成、平塚吉光、米山一輝、小段亮、カリバリオ・ホジェリオの6選手が出場しました。 18日、第1ステージとなる大阪ステージは、堺市の泉北ニュータウンの12.8km周回コースを11周する、140.8kmのレース。フラットコースでのスピードレースです。レースは中盤にできた逃げ集団を、メイン集団が追いつめる展開。ラバネロは浅野が追走を行い、米山とホジェリオがスプリントに備えます。残り一周で逃げは吸収されて、レースはスプリント争いへ。激しい位置取り争いの結果、集団は大きく混乱し、落車も発生します。優勝はサウスオーストラリアのデンプスター。ラバネロ勢は全員がメイン集団ゴール。米山が11位に入りました。 19日、第2ステージは奈良ステージ。東大寺大仏殿中門前をスタートし、山添村の布目ダムまでの峠道を25kmパレードし、布目ダム周辺の10.1km周回コースを12周回する146.2kmのレースです。レースは周回コースに入ってすぐに、有力選手を含む16名の逃げグループが形成。メイン集団も激しく追いかけるものの、最後まで逃げグループを捕えることはできませんでした。優勝は最終回に抜け出したサウスオーストラリアのサルツバーガー。ラバネロ勢は米山、平塚、ホジェリオ、鎌田がメイン集団でゴールしました。 20日は第3ステージの美濃。美濃市の旧市街地をスタートし、21.3kmの周回コースを7周半する155.3kmのロードレース。大半がハイスピードコースですが、途中一ヶ所、1kmほどの厳しい登り区間が設定されます。レースは前ステージに続き、序盤から23名の逃げグループが形成。これに選手を送り込めなかったラバネロは追走に回ります。逃げ集団とメイン集団の綱引きは最後まで続き、一時は10秒ほどまで縮まるものの、結局この日もメイン集団は追い付けず。しかし、遅れを何とか約20秒に止め、総合成績を狙う鎌田が大きく遅れることを阻止しました。優勝は梅丹本舗の福島。この日はホジェリオ、平塚、鎌田がメイン集団でゴール。序盤より追走に脚を使った小段が、残念ながらこの日リタイアとなってしまいました。 21日、第4ステージの南信州ステージは、飯田駅前をスタートし、一周12.2kmの下久堅周回コースを12周し、松尾総合運動場に至る155.3kmのレースです。激しいアップダウンにさらされ、選手の底力が試されるコースです。レースは前半に形成された6名の逃げを、メイン集団が淡々と追う展開。後半、メイン集団が追撃のためペースを上げると、その数をどんどん減らしていきます。集団は大きく分割され、最後は12名の先頭集団に。優勝はサウスオーストラリアのクラーク。ラバネロ勢は1分遅れの第2集団で鎌田が18位に入ったのが最高位でした。 移動日を一日挟んで23日、第5ステージとなる富士山ステージは、山岳個人タイムトライアル。富士山ヒルクライムで一番厳しい登りとなる、富士あざみライン11.4kmでのレースです。標高差1200m。最大斜度20%以上という、非常に険しい登り。ラバネロはクライマー鎌田が本領を発揮しました。45分08秒のタイムは、全体で11位、日本人では3番目に速いタイム。本人は43分台を狙っていたため悔しい思いをしたものの、堂々の好タイムで総合16位にまでジャンプアップしました。優勝は43分01秒のタイムを出したニッポのイタリア人、ガロファーロでした。 24日、いよいよ大詰めとなる第6ステージの伊豆ステージは、修善寺駅前をスタートして日本サイクルスポーツセンターの8kmコースを13周回する、112.5kmのレースです。大きなタイム差を付ける最後のチャンスとなるステージのため、総合成績争いが激しくなるステージです。パレードでは地元・修善寺工業高校出身の平塚が先頭を走り、母校の前で後輩達に迎えられました。この日のレースは序盤に形成された4名の逃げを、前日総合首位に立った韓国ソウルチームが淡々と追いかける展開。残り5周を切ってニッポらが攻撃を開始して、ソウル勢は崩壊。そこまで息を潜めていた有力選手勢の激しい戦いが始まります。この日の優勝はA-STYLEのオーラ。ラバネロの鎌田は最後のスプリントで僅かに遅れての17位でした。 最終日となる25日の東京ステージは、日比谷シティ前をスタートして、大井埠頭の7km周回コースを19周する、148.9kmのレースです。この日は生憎の雨の中でのスタート。しかしながら、レースは序盤より激しいアタック合戦となります。平塚、米山らが積極的に仕掛けますが、なかなか逃げは決まりません。レースが中盤に差し掛かる頃、ついに逃げグループが形成されますが、ラバネロ勢はこれに選手を送り込むことができませんでした。メイン集団は追走するものの、結局、追い付くことはできず。雨の上がったゴール地点に最初に飛び込んだのは、ムロズのゲンプカ。ラバネロ勢はメイン集団の米山の21位が最高でした。総合成績はサウスオーストラリアのマイヤーが優勝。ラバネロの鎌田が16位に入りました。 今回はレベルの高い国際レースということもあり、必ずしも目立った結果を残すことはできませんでした。しかし、美濃ステージなどの難しい局面をチームで乗り切り、鎌田選手が総合16位、チーム総合10位と、一部国内プロチームを凌ぐ成績をあげることができました。選手の結果への意識も高まっており、非常に有意義な一週間となりました。これから全日本選手権など、重要な大会が多く控えていますが、選手スタッフ一同、全力で取り組んでまいりますので、変わらぬ応援のほど宜しくお願いいたします。
4/27(日)、群馬CSCで『全日本実業団 東日本サイクルロードレース大会』が開催されました。 =以下、西選手からのレポート= 今シーズン参加の2 戦(西チャレンジ・東チャレンジ)には,強豪選手が出場して いなかったが,東日本実業団には現在J ツアーフェミニンで山島由香選手(サイクル ベースあさひ)と同点ポイントで首位に立つ豊岡英子選手(AyakoToyooka)・真下正 美選手(ブリジストンエスポワール)といった強豪がエントリーしてきた。 自分自身の体調はベストとは程遠いが,パールイズミスミタラバネロからは,長期 に渡り日本代表メンバーで活躍し,シドニーオリンピック出場を初めとして輝かしい 戦歴と経験を持つ「森本朱美選手」もエントリーしており,心強い。 定刻通りにレースは12 時21 分にスタート。直後に真下正美選手がアタックを開始し, 集団が吸収後には,すかさず豊岡英子選手がアタック。アップダウン区間では森本朱 美選手が何度も集団を揺さぶる。 これまでの2 戦と違い,明らかに激しい展開のレースになりそうだ。 2 周目に入り,下った後のダラダラしたアップダウンで豊岡英子選手が単独アタック を決めて,集団との差は約20 秒。 集団が淡々とローテーションをこなしていると差は縮まり始め,4 周目のホームストレ ートエンド付近で豊岡英子選手を吸収した瞬間に,森本朱美選手がカウンターアタッ ク。 これに真下正美選手も反応して集団を抜けようとするが,集団は長く伸びて直ぐにこ れを吸収。すかさず,私が思いっきりカウンターアタック。下り区間を全開で飛ばしてアップダウン区間に入り,後ろを振り返ると森本朱美選手 が集団をうまくコントロールしているようで,追走の動きは見られない。 百戦錬磨のチームメイトを持つと,こういった戦術面でのアドバンテージは非常に大 きい。特に打合せをするでもなく,あうんの呼吸でレースを動かし,その場その場に 応じた的確な判断を元に,レースをコントロールしてくれた。 4 周完了時点では,集団との差は約30 秒にまで広がったが,前述しているように体 調が万全とは程遠い状態なので,いつ自分の足が止まってしまうかという不安と戦い ながら,ひたすら逃げ続ける。 やがてその不安は現実の物となり,5 周目の登坂区間では両足のふくらはぎが,差が 1 分にまで開いた7 周目には太ももまでもが痙攣を始め,更に追い討ちをかけるように 後続集団からは追走のアタックが行われているとの情報も入る。 このままラスト周回に数人の追走メンバーに追いつかれて,両足の攣っている私はそ こからも置いていかれ,かっこ悪くヨロヨロでゴールする悪夢を想像してしまう。 恐怖に怯えつつ,ついに迎えたジャンの鐘。 ラバネロの応援部隊から「差は1 分21 秒」との声も聞こえる。チーム監督の高村さ んの声援を受けながらホームストレートを通過し,慎重に下りを走り,足が攣らない ように最後の坂を駆け上がり,ゴールに向かう下り坂に差し掛かり,ようやく勝利を 確信できた。 今シーズン2 度目の独走ゴールは,両手を上げる元気も無く,何とか片手を上げただ けで通過した。東日本チャレンジで逃した優勝の悔しさが少し晴れた。 後続集団は,豊岡英子選手が頭を取り2 位。続いて真下正美選手が3 位。献身的に 集団をコントロールしてくれた森本朱美選手は5 位であった。 ロードレースは個人の力・チームの力・アタックのタイミング等の色々な要素が複合 的に絡み合い,展開されていく。 リザルトには出てこないチームメイトの森本朱美選手に感謝したい。 次レースは,オリンピック選考参考レースである全日本選手権である。 6 月1 日までは,もう1 ヶ月位しかないが,毎日を大切にして,その日をベストな状態 で迎えたい。 【結果】 ・優勝
4/9(水)〜11(金)の3日間に渡り、紀伊半島の熊野地方で、第10回「Tour de 熊野」が開催されました。 =以下、ラバネロチームからのレポート= 4月9日〜11日の3日間に渡り、紀伊半島の熊野地方で、第10回「Tour de 熊野」が開催されました。第10回大会を迎えた今年は、ついにUCI(国際自転車連合)公認の国際レース(アジアツアー2.2)となり、国内外の強豪20チーム114名が、3日間・総走行距離322kmの熱い戦いを繰り広げました。パールイズミ・スミタ・ラバネロからは、鎌田圭介、平塚吉光、米山一輝、小段亮、福士達朗、カリバリオ・ホジェリオの6名が出場しました。 初日第1ステージは、新宮駅前をスタートして熊野川沿いを18km北上し、熊野川町内の15.4kmの周回コースを7周する、125.8kmのロードレース。レースは序盤から激しいアタック合戦となり、何度も集団が分割しては吸収される、息の付けない展開となります。ラバネロはスプリントに強いホジェリオと、スピードマンの米山をエースに据えてのレース。序盤から小段が積極的にアタックに反応し、何度も逃げグループに入ります。最終周回を大集団のまま突入し、このままゴールスプリント勝負かと思われましたが、残り約10kmで11名の逃げが決まり、これに米山が入ります。逃げグループはメイン集団に40秒弱の差を付けて、ゴール勝負へ。最終コーナーを先頭で回ったのは米山。積極的な先行策は、最後惜しくも抜かれて優勝はならなかったものの、見事3位でゴールイン。UCIポイントを獲得しました。12位争いのメイン集団のスプリントも、ホジェリオが先頭を取り、ラバネロが多いにアピールした日となりました。優勝は愛三工業の廣瀬敏でした。 第2ステージは熊野山岳コース。熊野市の市街地をパレードした後、山岳地帯に突入し、棚田で有名な丸山千枚田の登りを2回、急で長い札立峠の登りを1回を組み合わせた、119.6kmのコースです。当日は激しい雨。登りだけでなく、下りのテクニックもレースの行方を左右しました。ラバネロは登りに強い鎌田、平塚がメイン集団で札立峠を通過。米山もすぐ後ろで登りますが、苦手の下りで遅れてしまいます。寒さに苦しんだ鎌田は決定的な動きに惜しくも反応できず、15位でゴールしました。優勝は、残り約20kmで先頭集団から単独飛び出した、梅丹本舗GDRの新城幸也でした。 最終となる第3ステージは、捕鯨で知られる太地町の、9.6km周回コースを11周する105.6kmのレース。短いながらも急なアップダウンとコーナーが多く、油断のできないコースです。レースは序盤より総合トップを争う激しい駆け引きが続き、これまでの2日間で疲弊した選手が次々遅れていきます。5周目に入って、総合トップ争いとは関係ない選手13名の逃げが決まり、ラバネロはここに小段が入ります。残り2周を切ってから、逃げ集団からレオン・ファンボン(マルコポーロ)と真鍋和幸(NIPPOエンデカ)がアタックして抜け出します。メイン集団もスピードアップし、最終周回に逃げグループに襲いかかりますが、先行2名は最後まで逃げ切り、ツール・ド・フランスで過去ステージ2勝の経験のあるファンボンが、最終ステージを優勝で飾りました。ラバネロは3位争いのグループで8番手で入った米山が、ステージ10位に入りました。 今回のラバネロは、米山の第1ステージ3位を始めとして、エース格となる3名がそれぞれ得意分野で力をアピールし、それをサポートする若手も積極的な走りを見せ、特に小段は何度も有力な逃げ集団に入るなど、多いにアピールする走りをすることができました。海外レースでも活躍するプロチームを相手に十分戦える事を証明し、これから続くツアー・オブ・ジャパン、全日本選手権ロードレースに向け、大きく勢いを付けるレースとなりました。