プロジェクト135パート2 第95回 (ポルトガル)ギマランイスの歴史地区

 ギマランイスは、初代ポルトガル国王アフォンソ・エンリケス生誕の地として知られています。前回のポルトから北へおよそ60km、首都リスボンからはおよそ360kmのあたりです。前回のポルトはポルトガル第2の都市でしたが、ここはとても小さな町でした。大規模な世界遺産というよりも、歴史的な町、公園のような町といった印象でした。でも、ここがポルトガル誕生の地なのだそうです。前回のポルトもポルトガル発祥の地と説明されたような気がするのですが…。
 
■今回場所は
 

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町の入口に、確かに「Agui Nasceu PORTUGAL」と書かれた壁がありました。「ここにポルトガル誕生す」という意味だそうです。
 
ギマランイスの町にはこんな乗り物がよく似合います。私は乗せてくれませんでした。運転手さんと話してきたトーチャンが、重量制限でダメダッテさ、というのです。
 
乗車拒否しちゃイカンヨ、とポルトガルの警察官も見張っていたのですが…。
 
アフォンソ・エンリケス王(アフォンソ一世)の像です。
 
そしてこれが、アフォンソ一世の生誕地ギマランイス域です。
 
お城は、内側は廃墟になってしまっていて、ここからの写真が一番感じが出ています。
 
お城のそばにあるサン・ミゲル教会です。アフォンソ一世が洗礼を受けた教会です。
 
内部は意外に質素な感じでした。
 
ほぼ同じ公園の中にあるブラガンサ公爵館です。15世紀の建物だそうです。
 
残念ながら、内部は工事中で入れませんでした。
 
遠くから見るとかなり大きな建物です。現在は政府の公館として、国賓などの接待場として使われているそうです。トーチャン、私たちが来るって連絡しといてくれればよかったのにィー。
 
ホラ、私だって国賓になれますヨ!!
 
この人たちは、お招きの後でしょうか?
 
この子たちは招待客でしょうネ。近所の小学生と思しき子供たちが何組もいました。
 
ここがノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会です。ロマネスク様式とゴシック様式が混じった14世紀に建てられた教会です。
 
正面が教会、右側の柱が教会前に建てられた戦勝記念のアーチです。
 
このアーチはムーア軍を打ち破ったサラードの戦いの勝利を記念して1342年に建てられたのだそうです。このアーチが完成するとき、教会前にあったオリーブの幹が突然葉を出したという伝説を元に、オリベイラ(オリーブ)の名がこの教会に付いたのだそうです。
 
これがそのとき葉を出したといわれるオリーブの木、の前に停めてあった自転車です。
 
それでは世界遺産、ギマランイスの歴史地区の建物を紹介しましょう。これは教会です…。
 
教会の外壁を飾るアズレージョです。若き日のマリア様でしょうか?
 
何の説明もなかった建物です。多分偉い人のお屋敷です。
 
歴史地区周辺の民家です。
 
これもちょっと偉い人の家でしょうか?
 
ヨーロッパの独特の町並ですネ。
 
昔は自動車は通らなかったのです。
 
そろそろ広場へ出そうです。
 
広場の向こうの家の上にある像はやはり、アフォンソ一世の像でしょうか?
 
広場、教会、観光客のオバさんはセットのようです。
 
細道、階段、石畳、カーブ、これもヨーロッパの田舎町ではどこででも見かける景色です。それにしても、このオジさん、左手でPC?右手は何を持っているのでしょう?
 
やっぱり、現地のオジさんの方が東洋のオバさんよりこの景色には似合いますネ。
 
このライオンさん、上にCAMPAINHA/BELLと書いてあるのですが、呼び鈴でしょうか?
 
ギマランイスは自転車の少ない町でした。町中で写真を撮れたのは3台だけでした。
 
そこでチョットサービス。この写真はギマランイスの町中ではありません。郊外の登坂、声をかけたら手を振ってくれました。余裕のライダーです。
 
近づいたら、けっこうな歳の人に見えました。
 
そして丘の上には別のカップルが。とても気持ち良さそうでした。私たちも47都道府県、全部廻ったんだヨネーと。何のための対抗意識だ、と…。確かに。でも気持ち良さそう。
1139年のポルトガル王国建国から1910年のポルトガル第一共和国の成立まで、ポルトガルは約800年間君主制がとられました。この間、ボルゴーニャ王朝、アヴィス王朝、フラガンサ王朝などの王朝が続いたのですが、この歴代の王はいずれも建国者アフォンソ一世を祖先に持つのだそうです。その建国の王、アフォンソ一世の生誕の地がここギマランイスです。町自体はとても小さくて、世界遺産としてはこじんまりしていますが、その歴史地区は、14世紀15世紀の建物がごく普通に建っており、使われており、第二次大戦で中立を保ったポルトガルの旧き良き時代を見ることが出来ました。ユネスコの世界遺産マークは一つも見つけられませんでした。登録されたのが比較的新しい(2001年)ためか、町の人たちがあまり世界遺産に興味がないからかわかりませんが、前回のポルトとは大違いでした。12世紀といえば、日本では平清盛とか後白河天皇の時代ですから、当時の民家など残っているわけもありませんが、同じ時代なのにポルトガルは石の文化、民家も教会も石畳も残っています。中でもここギマランイスは保存状態も良く、有名な大きな建物が残っているわけではありませんが、歴史地区はじゅうぶん見応えがありました。私たちのように不勉強な者にも、その価値は感じられました。残念なのは、自転車が少なかったことです。次回は「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」(スペイン)です。お楽しみに。