プロジェクト135パート2 第94回 (ポルトガル)ポルトの歴史地区

 私にとってポルトガルの印象は、種子島への鉄砲伝来、フランシスコ・ザビエル、ボタン、タバコ、パン、カルタなど断片的なことばかりです。それに加えて、ポルトは、「赤玉ポートワイン」甘いワインの産地ぐらいでした。実際に行ってみて、ここポルトはポルトガルの海外進出の拠点であり、ポルトガル発祥の地であったのだと感じられました。今までに訪れたことのある他のヨーロッパの国々よりも身近に感じたのは、その歴史ばかりでなく、人々の体格もあるかもしれません。食べるものもほとんど海のものが多く、滞在中も不満はありませんでした。
 
■今回場所は

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見て下さい、この人なんて日本の娘さんとほとんど違いを感じないサイズです。手足はちょっと長いでしょうか?
 
ホラ、この娘なんて、なんて可愛いのでしょう!!と、うちのオトーチャンはポルトガル大好きなのです。私もですけど。
 
このお嬢さんは、ポートワインの有名なワイナリーのガイドさんです。
 
いきなりワインで申し訳ありませんが、その昔、ポルトガルにフランスからブドウの苗を持ち込んでポートワインを造りだしたのがポルトガリア伯爵と呼ばれた人だったのだそうです。
 
手前の川がドウロ川、右側の橋がドン・ルイス一世橋、橋の向こうの町並みが世界遺産、「ポルトの歴史地区」です。
 
それでは市内へ。すごいですヨ、ユネスコの世界遺産のマークが町のあちこちにあります。探してもなかなかマークの見つからない遺産もあるのですが、ここポルトはサービス満点です。
 
これがクレリゴス教会と右側がクレリゴスの塔です。この塔はなんでもポルトガルで一番高い塔なのだそうです。76mあるそうです。
 
ポルトの町並みです。ここでは、一つずつの建物の説明はありませんでしたが、どれをとっても立派な建物がたくさんありました。
 
ここは町の中心地、サン・ベント駅の内部です。駅そのものは大したことないのですが、このタイルの壁画、アズレージョというそうですが、これが有名なのだそうです。
 
ネッ、駅らしいでしょ。ここのアズレージョ、タイルの数は20,000枚とか。
 
この駅は20世紀の初め、修道院の跡地に建てられたのだそうですが、この壁画はジョルジュ・コラコという人の作品だそうです。
 
10cm角ほどのタイルをはめ込んだこの壁画はジョアン一世のポルトにまつわる歴史的な出来事が描かれているのだそうです。
 
1枚1枚焼いたタイルをはめ込んで画にして、普通に人の出入りする場所で、これだけ鮮やかに残っているのは素晴らしいと思います。タイルの壁画、アズレージョ、覚えました。
 
タイルの壁画アズレージョはポルトのあちこちで見ました。これは何の説明もない教会の壁画を飾っていたアズレージョです。
 
ポルトの歴史地区は第二次大戦の被害を受けず、建物の外側の装飾が見事です。
 
この建物など、こんなに立派なのに何の説明もありません。1つ1つの世界遺産になっている建物だけでなく、普通にある建物も見事なものが目につきました。
 
これも歴史地区で撮りました。多分これは世界遺産ではないと思われます。
 
この真ん中の建物の外壁など、私たち観光客は見とれてしまいますが、現地の人たちは特に注意を払っているようには見えませんでした。
 
右手の橋がドン・ルイス一世橋、下の川がドウロ川、向こう側がポルトの旧市街、左手が大西洋です。
 
二階建ての橋の上部には市街電車が通り、自転車も歩行者も通れます。川面からの高さは60m以上、私には気持ちの良い風でしたが、高所恐怖症の方にはお勧めしません。
 
川沿いの道から旧市街まで急なケーブルカーも通り、昔の城壁の脇を登って市内の中心地まで運んでくれます。
 
やって参りました大聖堂、カテドラルです。もともとは要塞として12世紀に建てられ、その後17世紀から18世紀にかなりの改修が加えられたそうです。
 
良く見るとこの入り口にもアズレージョでの装飾がありました。
 
ここは間違いなく世界遺産です。
 
内部は外観よりも派手でしたが、人が少なく静かに見られました。
 
詳しいことは解りませんが、多分マリア様がキリストを抱いているのだと思います。
 
そしてキリスト様です。
 
この大聖堂は、本堂は無料でしたが、右側から入る回廊は有料、でも入った甲斐はありました。
 
見て下さい、この大きなアズレージョ、18世紀の作品だそうですが、惜しげもなく建物の外壁を飾っています。タイルだから外にあるのは当たり前なのかもしれませんが、なんだかモッタイナイ気もします。
 
この変な柱がベロリーニョというそうで、その昔、罪人を結んだ柱だとか。
 
さて、自転車です。これは大聖堂の前で撮った、多分観光客と思われるおじさんです。
 
そして、こちらが大聖堂の反対側にいたアフォンソ一世です。多分。この頃は自転車じゃなくて馬に乗っていたのです。
 
これは町の中で普通に走っていた、町の人と思われます。
 
この人も多分町の住人と思われます。ポルトガルには有色の人、アフリカ系とか南アメリカ系とか思われる人をけっこう見かけました。
 
そーそー、ポルトの町では世界遺産のマークが至るところにありました。
 
ほら、これなんて舗道にユネスコマークです。
 
あっと自転車、自転車、この人も町の人のように見えました。
 
この人たちは観光客でしょうか?
 
ともかく、自転車のとても多い町でした。
リスボンから北へ約300km、人口約30万人の起伏の多い町ポルトは、こじんまりとした親しみやすい町でした。第二次大戦では中立を保ったので攻められることもなく、旧い町並の残る美術館のような建物が連なる町でした。あちこちにユネスコの世界遺産のマークがあり、良かったのはほとんど内部も撮影可能だったことです。また、自転車も多く、その種類も乗っている人のタイプもまちまちで、町に自転車がよく合っていました。アフォンソ一世だとか、エンリケ航海王子とか、歴史的にもポルトガルを知る上で重要な都市だったであろうことが伺えます。いろいろ良いことがあったのですが、特にうれしかったのが、ポートワイン、ヴィンテージ物をトーチャンが買ってくれたのです。私の72歳の誕生日に我が家でいただきます。この94回がアップされる頃にはもう終わっています。プロジェクト135も二人足すと146にしなければならなくなってしまいました。月日が経つのは早いですネ。次回はポルトガル発祥の地といわれるギマランイスです。お付き合い下さい。