プロジェクト135パート2 第88回 (イタリア)ポンペイの遺跡

 ユネスコの世界遺産に登録されている正式名称は「ポンペイ、エルコラーノ及びレット・アンヌンツィアータの遺跡地域」という長いものです。ポンペイはこの主要部分です。79年に噴火したヴェスヴィオ火山によって地中に埋もれた地域はポンペイだけではなく、エルコラーノなどの周辺地域にも及んだのです。ローマ人の余暇地として繁栄したポンペイが、この噴火による火砕流で一瞬にして完全に地中に埋まったのだそうです。火山灰はその後も降り続き、ポンペイは5mとも10mともいう火砕流と火山灰に埋め尽くされ、18世紀になって、ポンペイやエルコラーノの発掘が始まり、現在もまだポンペイは発掘が続いています。ナポリの国立考古学博物館にある壁画などは驚くほど鮮やかなのですが、これは火砕流などにより一瞬にして埋まり、結果として保存状態よく保たれたからといわれています。現地を見て当時の人々の恐怖感などが伝わるのと、よくもまーこれだけ当時のことが保存されたものだと感心してしまいます。西洋の石の文化と日本のように木や紙の文化では残る内容、保存できるものが違ってくるのは当然ですが、それにしてもここはすごいと言わざるを得ません。今回はポンペイの遺跡を見ただけでなく、翌日にナポリの考古学博物館で出土品の展示も併せて見て来たので、特に印象深いのかも知れません。
 
■今回場所は
 

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あの壁の向こうに見える山がヴェスヴィオ山です。今では1200mほどの山ですが、噴火前には3000mほどの高さがあったのだそうです。左側が高く、右側が低い、、、真ん中が噴火口と考えると噴火の大きさが想像できます。ここからの距離がおよそ10kmだそうです。
 
ナポリ湾を挟んで反対側から見たヴェスヴィオ山です。このあたりにも火山灰は飛んできたと考えられるそうです。
 
出土品の数々です。
 
火砕流の中に埋まっていた人の遺体だそうです。
 
女性と子供の遺体。これは、火砕流が固まった一部、人間の身体の部分が腐って空洞になっていたところへ、石膏を流し込んで再現したものだそうです。
 
こんなのが完全に埋まっていたというのですから、その火山灰の量を想像するだけでも恐ろしいですネ。
 
噴火しないよネとヴェスヴィオ山の様子を窺っているところです。
 
壁画の一部はそのまま残っていますが、ほとんどは博物館に保存してあります。
 
モザイクも、ほとんどは移して保存してありますが、一部はそのまま現場に残してあります。
 
町は最盛期には2万人の人口があったといわれています。想像以上に大きな、よく整備された町だったようです。この大きな石は横断歩道だそうです。
 
通りは立派な石畳で、歩道と車道が分かれていたそうです。
 
ここはパン屋さんの跡。
 
大きなカマドです。
 
ここは大衆食堂?
 
大通りの轍のあとです。なぜか新幹線の軌道と同じだとか、本当でしょうか?
 
大浴場の跡です。
 
こうやって顔を洗ったのでしょうか?
 
サテ、これは何のマークでしょう?
 
この家の前にありました。昔、ポンペイは港町でローマへの物資を運ぶ商人がたくさん集まったのだそうです。港町といえば、、、なーんだ?
 
アポロ神殿の跡。こんな大きなものがあちこちにありました。
 
18世紀から掘り始めて、現在でもまだ掘り続けています。まだ60%くらいしか終わってないそうです。
 
あの柱の上まで火山灰があったのを掘り出して、これでもまだ60%。気の遠くなる作業ですネ。
 
これも全部埋まっていたのです。
 
あの上まで火山灰?サテ、気を取り直して博物館へ行きましょう。
 
アッ、まずその前にポンペイで見た自転車です。遺跡の中は当然ながらゼロでしたが、その入り口で見ました。
 
この人たちはなんと、オランダからやって来たそうです。トーチャンが嬉しそうに話してきたところによると、4週間かけてアルプスを越えてやって来たのだとか。
 
男性はわりと友好的でしたが、女性はこの先の日程が気になっているようで上の空の感じでした。
 
さてその翌日、ポンペイからナポリへ移り、国立考古学博物館へ行ってきました。ポンペイのものばかりではありませんが、主にそこだけ見て来ました。
 
よくもまー2000年も前のものがこれだけ鮮明に残っているものだと驚きました。
 
これ皆、モザイクです。
 
これなんか、人と鳥の大きさがチョットとは思いますが、何とも鮮やかでした。
 
こんな柱だったんですって。
 
この絵は一対だったようです。もーこんなのがもっともっとたくさんあって、、、。
 
これがモザイクですから、2000年も前にこんなの造ったのもすごいですけど、今、こんなものが、この鮮やかさで見られることがすごいですよネ。
 
極めつけはこのツボです。青い焼物に、カメオが貼り付けてあるのです。
 
ネー、すごいでしょう?
一般的に文化遺産は解りにくいというか、難しいというか、予備知識がないとその良さが理解しにくい場合が多いと思うのですが、今回のポンペイは単純明快、見ただけでスゴイ!!と思いました。実は私、ポンペイは2回目で、前回は20年くらい前、サリン事件の頃に来たことがあるのですが、憶えていたのとは全く印象が違いました。なぜだか解りませんが、前回はただフーンと思って見ただけだったような気がします。一生懸命でないにしても多少は今回の方が予備知識を仕入れて行ったので印象が強かったのでしょうか?日本でいえば吉野ヶ里遺跡の頃のことですよネ、礎石などから想像して集落を再現したのと、火山灰の中から掘り出した現物の違い、その上壁画や装飾品などの現物、迫力がありました。ローマ人の別荘なども多かったそうですが、随分進歩的な生活だったのだと思います。進歩的というか、装飾、壁画、神殿や野外劇場、はたまた変てこマークの家など、吉野ヶ里遺跡に比べて亨楽的な部分の多い生活だったように思います。その規模といい、残っている内容といい、スゴイの一言です。遺跡なのだから自転車がなくて当たり前なのに、トーチャンは入口だけしか自転車がいないと機嫌が悪いのです。遺跡の中から自転車でも発掘されていればご機嫌だったのかもしれません。さーて次はこのイタリアの旅最終章、ナポリです。お付き合いください。