第二次世界大戦の戦禍を免れたバンベルクの旧市街は1993年に世界遺産に登録されました。前回のレーゲンスブルクもそうですが、小さな町なのに戦禍を免れたおかげで旧市街の保存状態が良く、登録されたわけです。レーゲンスブルクとここバンベルクは小さな町なのに登録され、その二つの町の中間にある大きな町ニュルンベルクは戦禍にあってしまい、登録されていません。バンベルクはレグニッツ川の中州に拓けた「バイエルンの真珠」と称えられる美しい町でした。 |
■今回場所は |
より大きな地図で プロジェクト135 第81回 「バンベルクの町」(ドイツ) を表示 |
見て下さい、これがレグニッツ川の橋の上に建てられた旧市庁舎です。 |
かつて川で街を市民地区と司教地区に分けていたためにこの場所に建てられたのだそうです。 |
れにしても、何もこんな流れの中に造らなくとも良さそうなものです。 |
こんな流れなのですヨ。ここでは一年中ラフティングをしているそうです。 |
ところで、これは前回のレーゲンスブルクとここバンベルクの中間にあるニュルンベルクの大聖堂です。 |
内部もとても立派です。 |
世界遺産になっても不思議はないと思うのですが、町として戦禍にあって修復してある部分が多く、世界遺産の登録ができないのだそうです。 |
世界遺産ではありませんが、ニュルンベルクは町も美しく、大聖堂など見所も多くおすすめです。 |
そして世界遺産バンベルクの町です。小さいですが、昔のままなのだそうです。 |
あまり大きな建物のない町です。 |
これは病院です。光の具合が悪く、100年前に建てかえたそうです。 |
黄色い建物は刑務所だったところ。 |
橋の上の自転車。何を運んでいるのでしょう。 |
プチベネチアと呼ばれる地区です。 |
昔は漁師たちの町だったそうです。 |
1993年に登録された世界遺産の中には2400もの建物が入っているそうで、勝手に修理できないので、それはそれで大変なのだそうです。 |
ガイドさんがいろいろ説明してくれるのを、メモしておかないと帰ってから整理ができなくて、何が何だかわからなくなってしまうのです。私もちょっとは役に立っているのです。 |
プチベネチアとダンディな自転車。このオバさんがいなければもっと良い写真になっていたかもしれません。 |
家の上の変わったプレート。 |
実は、川舟の上で押し合い、相手を川へ落とすゲームがあって、トーナメントでやりあったのだそうです。 |
さりげなく、マリア様でしょうか。 |
旧い旧い町並みです。 |
そして新宮殿です。 |
こちらが旧宮殿です。 |
新宮殿のテラスから遠くに見えるのが聖ミヒャエル教会です。1015年に修道院として建立された教会だそうです。 |
これが大聖堂です。 |
大聖堂入口にあるバンベルクの騎士像です。ナチスのプロパガンダに使われたそうです。 |
大聖堂内部はきらびやかさはなく、重々しい雰囲気でした。 |
石造りで、絵画などがなく、寺院らしい感じがしました。 |
地下にはどなたかの棺がありました。何の説明もなく、誰もいなかったので、もしかしたら入ってはいけないところだったのかもしれません。 |
町全体に明るさがなく、小さい町なのに重々しい感じの町でした。 |
木骨の家はドイツらしい? |
バンベルクにはかつてビールの醸造所が64もあったのだそうです。 |
安心して下さい、今でも30もあるそうです。その一軒、ラオホビールを飲ませるビアホールで。アメリカの観光客に追い込まれてしまいました。 |
だからビールの前に撮れば、と言ったのに…。ビールも世界遺産の一部でしょうか? |
ヨーロッパの町に共通していることに、教会、市庁舎、広場があります。そして石畳、これが歩きにくくてとても疲れます。町はだいたい川沿いにあります。水を必要とする人々が住むのですから当たり前といえば当たり前ですネ。そして川は荷物を運ぶのにも必要です。ドナウ川のほとりブダペストから始まった今回の船旅はレーゲンスブルクでマイン・ドナウ運河に入り、ニュルンベルクを経てバンベルクまでやって来たわけです。バンベルクで今度はマイン川に入りライン川を目指します。ここバンベルクは小さな町ですが、かわいい町というより落ち着いた重々しさを感じさせる町でした。ちょっと不便なところにあるので行きにくいところですが、人も少なくほっとできました。次回は今回の船旅のハイライト「ライン渓谷中流上部」、通称古城渓谷を紹介します。お楽しみに。 |
Previous Post: AMUSEMENT SPORTS⇒CYCLO CROSS ③シクロクロスのフィールドは広い
Next Post: ビット式コンパクトツール クランクブラザーズ Bシリーズ