プロジェクト135パート2 第65回 (リトアニア)ヴィリニュス歴史地区

 今回がリトアニア、次回66回がラトビア、その次67回がエストニアなのですが、この三国でバルト三国と呼ぶようです。実は私、バルト三国がどこにあるのか知りませんでした。ヨーロッパの北の方という感じで、第一バルト海がどこなのか?しげしげと世界地図を見てしまいました。現在この三国はそれぞれ独立しておりEUにも加盟して、通貨もユーロですが、三ヶ国合わせても人口650万人ほどの小さな国々です。その上、歴史的にロシアやドイツ、スウェーデンなどに併合されていた時期が長く、地図を見ると、なるほどと納得せざるを得ない位置にあります。この世界遺産巡りをしていると私のように無知な、のんきな生活をしている人間も、歴史に触れる機会に恵まれ、考えさせられることがあります。今回のバルト三国は日本からの直行便もない遠い遠い国でしたが、歴史的には日本にも関わりがある国々でした。それではまず、一国目、リトアニアのヴィリニュス歴史地区を見てみましょう。
 
■今回場所は
 

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リトアニアといってまず思い浮かぶのは日本のシンドラーといわれる杉原千畝さんではないでしょうか?歴史音痴の私でも、この人の名前は知っていました。このレリーフは領事館のあった当時の首都、カウナスではなく、今の首都、ヴィリニュスにあります。
 
当時、物語のあった日本領事館はヴィリニュスから西へ100kmほどのカウナスにありました。今は杉原記念館として残されています。
 
この机でポーランドから逃れてきた1600名ものユダヤ人に日本通過ビザを発給したのだそうです。それにより6000名以上の人たちの命が救われたといわれています。
 
本国からは同意されなかった通過ビザを発給したことに対してはいろいろな考えがあるようですが、現在もユダヤ人からは感謝され、現在の首都ヴィリニュスには杉原さんの名前のついた通りがあり、一枚目のレリーフも飾られています。
 
さて、世界遺産ヴィリニュスの歴史地区を見て回りましょう。正面が夜明けの門です。かつて9つあった城門のうち、現在ただ1つ残っている門で、旧市街側から見たところです。
 
門の上、2階の部分は小さな礼拝所になっていて、私たちが行ったときはミサが行われていました。この聖母のイコンは1363年に王様がクリミア半島から持ち帰ったものといわれているそうです。
 
門の反対側、城門の外側には防衛に使われた丸い穴、銃眼がいまだに残っています。
 
門の左側には城壁が続いています。1503年からタタール軍の侵入に備えて造られたものだそうです。
 
ヨハネ パウロ二世も来られたのだとか。
 
ヴィリニュスのお母さんは強いのです。
 
左手は気にしないで下さい。
 
だから左手は気にしないで下さいってば!!
 
聖ペテロ&パウロ教会です。建物は1668年から7年間かけて造られたそうですが、外は驚くほどのものではありません。
 
が、内は。その後内装に30年かけたそうで、2000以上の漆喰彫刻は圧倒されました。
 
聖人、天使、獣、植物などなど。
 
製作にはイタリアから招かれた彫刻家たちが当たり、数百人もの職人がアシスタントに加わったのだそうです。
 
聖マリア マグダレナ、リトアニア人のモデルだったとか。
 
この教会はバロックの“凍れる音楽”と呼ばれているそうですが、何枚写真を撮っても、一回見る方が感激します。ここはすごかったです。
 
こんなに近くに二つもすごいのが。左が聖アンナ教会。右がベルナルディン教会です。
 
ゴシックを代表するような建物でした。
 
リトアニアは琥珀でも有名なのだそうです。
 
私、このような高級品には全く興味がないのでその良さがわかりません。それで良いのだと連れ合いはいうのですが…。
 
琥珀よりお前にはこっちの方が良いというので、琥珀博物館の前の露店で買い物をしました。さすが世界遺産の町、露店だって立派な彫刻の下に出ているのです。
 
琥珀より絶対良い買い物だそうです。
 
世界遺産の街並みです。
 
そしてなんとロールス・ロイス様が何気なく停まっているのです。
 
ユネスコの事務所までありました。
 
こんなに手のかかった扉が何気なくある町でした。
 
1579年創立のヴィリニュス大学です。
 
大聖堂と鐘楼です。
 
大聖堂の鐘楼近くにあった敷石です。STEBUKLAS(奇蹟)と書かれてあるのだそうです。1989年の人間の鎖のメモリアルだそうで、3回まわりながら願い事をすると叶うのだそうです。やりませんでした。
 
大聖堂の内部です。ペデロ・パウロに感激してしまったのと、疲れてきたので、あまり印象にありません。
 
一生懸命見れば、すごく良いのでしょうけど。すぐ飽きてしまうのです。
 
それより、リトアニアは自転車が多かったですヨー。
 
実用的に荷物を運ぶためよりも通勤、通学風が多かった気がします。
 
中にはこんな人もいましたけど。
 
さて、リトアニアの食事です。まず冷たいスープ。
 
次にチーズたっぷりのサラダ。
 
メインはたしか…?
 
そしてデザートは何ともいえない味でした。
 
ところで皆さんこの人たちは何をしているのだと思いますか?学校の下校を迎えに来ているのでした。車の迎えが多いので、かなり遠くからも通っているのでしょうか?それとも物騒なのでしょうか?
 
ではこの並んでいるものは何でしょうか?
 
レンタサイクルの駐輪場でした。
ヴィリニュスへはフィンランドのヘルシンキで乗り換えて1時間ちょっとです。リトアニアはバルト三国の中では一番人口が多く、300万人ほどで、首都ヴィリニュスは52万人とか。ポーランド領だったことがあったり、ロシア領だったりしましたが、十字軍騎士団に最後まで抵抗し、バルト海から黒海に至る大帝国を築いた歴史もあり、それを誇りにしているそうです。現地ガイドさんも、その大帝国のことを何度も話題にしていました。70年以上も何事もなく、自分の人生では戦争も知らず、平和ボケしているのかもしれない私たちにはとても刺激的な国でした。国土はただただ平坦で道路はどこまでも一直線、左右に菜の花畑が続く、いかにも平和な景色でしたが、その歴史は重く、ヴィリニュスは世界遺産に相応しい街でした。