プロジェクト135パート2 第64回 (日本)日光の社寺

 私たちの頃、都内の小学生は六年生の修学旅行は日光でした。それ以来何回か日光へは行きましたが、寄るのはいつも東照宮だけでした。1994年に世界遺産に登録された「日光の社寺」には、日光東照宮、日光山輪王寺、日光二荒山神社の建造物と境内地が含まれます。輪王寺や二荒山神社は今回が初めてで、私たちにとっても新鮮な印象でした。訪れたのは大型連休の直前で比較的静かなときだったのも幸運でした。
 
■今回場所は
 

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日光といえば東照宮と思っていましたが、輪王寺は766年にこの勝道上人により開基されたのだそうです。
 
輪王寺は三仏堂が有名なのだそうですが、今は残念ながら改修中でした。
 
現在は鉄骨の7階建てでカバーしてお堂を解体中でした。
 
三仏堂の横にあるのが護摩堂で、三仏堂に祀られている千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音が、一般庶民の身近な福の神に姿を変えて毘沙門天、大黒天、弁財天として祀られているのだそうです。
 
難しいことは良く解りませんが、三仏堂は国家の安泰などを祈る場所、この護摩堂は庶民の願いを祈る場所なのだそうです。
 
輪王寺から東照宮への道、横への道も風情がある、多分ここも。世界遺産のうち、…の境内地なのです。
 
ここは標高634m、東京スカイツリーと同じ高さの場所です。
 
護摩堂の全形です。
 
今年は家康公鎮座400年で、御位碑の初公開があるのです。今年を逃すと次回はあと100年後だとか。ちょっと無理なので今年にしました。
 
正面の石鳥居です。この石段は上に行くほど幅が狭く、一段の高さが低くなっています。遠近法で鳥居を高く、遠く、雄大に見せる為の技法なのだそうです。
 
この石の鳥居は直径1m、高さ9mもあるのですが、これを寄進したのが九州の黒田家、海路江戸まで運び利根川を遡り、鹿沼街道を人力で引いてきたのだそうです。
 
石鳥居をくぐってすぐ左手にある五重の塔です。これは若狭の小浜藩主酒井忠勝が献納したものだそうです。400年で心柱が公開されていましたが、写真はダメでした。
 
次に出て来るのが三神庫です。下神庫、中神庫、上神庫の三棟あり、中には千人行列の奉仕者の装束が納められているそうです。
 
一番奥の上神庫の書面にある「想像の象」です。三角の所の彫刻です。この彫刻の下絵を描いた狩野探幽が実物の象を知らずに描いたからと言われているそうです。確かに現実の象とはだいぶ違いますネ。
 
これが神厩舎です。早い話が馬小屋です。全体にきらびやかでハデハデな東照宮には珍しく素木造りです。
 
名高い三猿が彫られているのがこの厩舎です。実はよく見ると三猿だけでなく猿の一生を描きながら、人の生涯を語っている絵物語になっているのだそうです。
 
経蔵です。内部には天海版一切経6322巻を納めた八角形の回転式書架があるのだそうですが、400年でも非公開でした。
 
ところで皆さん東照宮といえば何を思い浮かべますか?陽明門、日暮門ではありませんか?なんとこの日は改修中でカバーがかかって見えなくなっていました。この右手の白いのが陽明門です。
 
そして、この左手手前が鐘楼、向こう側が鼓楼です。それぞれ釣り鐘と太鼓が納められているそうです。
 
ようやくたどり着きました。これが東照宮本社(本殿、拝殿)です。ここも改修中ではありましたがカバーはなく、なんとか見えました。
 
これでもか、というほど豪華です。
 
眠り猫です。東照宮で最も有名な彫刻です。平穏な世の中の象徴なのだとか。有名なわりに小さくて、見落としてしまいそうです。
 
東照宮は豪華な建物や彫刻など、これでもかと続きます。そこから二荒山神社までの上新道です。
 
見えてきました。日光二荒山神社の楼門です。日光二荒山神社は勝道上人が782年に二荒山登頂に成功し、山頂に祠を祀ったのが奥宮だそうです。
 
輪王寺開基した勝道上人と二荒山神社の勝道上人が同じ人なのか?多分。お寺と神社が同じ人?などと考えながら鳥居をくぐります。
 
そーなのです、二荒山神社は、男体山をご神体として、日光連山全体を神域とする神社なのです。ということは日光連山全体が世界遺産になるのかしら?
 
何はともあれ二荒山神社は古来より日光山岳信仰の中心であったのです。
 
神興舎(しんよしゃ)。神苑内にある素木の建物。1617年に東照宮を造営するとき、仮殿の拝殿として建てられたもので、山内に現存する最古の建物だそうです。御神輿が入っています。東照宮の建物がなぜ二荒山神社にあるのか?わかりません。
 
これが二荒山神社の本殿です。案内書によれば破風の装飾が鮮やかなのだそうですが、修復中でした。残念。
 
ところでこの写真、右側が日光二荒山神社の鳥居、そして左側の建物が輪王寺大猷院の建物です。
 
ここは輪王寺の別院で大猷院というのは三代将軍家光の法号で、「大きな仕事を成し遂げた」という意味を持つそうです。この写真は仁王門です。真中にいるのが生きた仁王です。
 
これが本物の仁王様。阿(ア)吽(ウン)の口の形になっているそうです。
 
唐破風付きの御水舎。水道付きです。
 
夜叉門です。
 
夜叉門にいる夜叉像です。
 
拝殿の間
 
皇嘉門。この奥に家光の墓所があるそうですが、入れるのはここまででした。
 
輪王寺大猷院は三代将軍家光の眠る廟所で、東照宮を小さくしたような感じでした。小じんまりとして私には東照宮より好感を持てました。どちらも絢爛豪華というのがぴったりです。
 
ありました。日光の町に自転車です。この店に入ったらお客は私たちだけ。尋ねたら、お店の若夫婦なのだそうです。
 
日光といえば神橋。二荒山神社の神橋というそうです。
 
日光は町全体が坂道で、自転車は押して歩くもののようでした。
 
それが何か?といわれそうでした。
 
辛うじて一台だけ走っている自転車に出会いました。一時間ほど自転車を求めて歩いたのですが、走っているのを見たのはこの一台だけでした。
 
疲れてしまったので、甘いものをいただいて、今回はおしまいです。
今回、世界遺産としては「日光の社寺」というのですが、具体的にその範囲は日光東照宮、日光山輪王寺、日光二荒山神社の建造物と境内地ということで、東照宮は国宝陽明門をはじめとする40棟、二荒山神社が神橋など23棟、輪王寺と大猷院が合わせて38棟、合計103棟が登録遺産だそうです。もともと日光は勝道上人によって開かれた山岳信仰の霊地で、慈眼大志(天海僧正)、徳川家康、家光など、寺と神社が一体になった不思議な場所のようです。何しろ、世界遺産に登録されている建物だけでも100棟以上あるわけですから、今回の陽明門や輪王寺の三伝堂など、どこかが修復中になってしまいます。その修理が10年から30年間隔で行われ続けて、この作業が江戸時代の技術を実践で伝え、職人を育てる役割を果たしてきたことも、ユネスコが世界遺産に選んだ理由の一つでしょう。お寺と神社で疲れましたけれど、湯葉、水ようかん、シソマキ唐辛子など美味しい物もたくさんある日光、世界遺産を見に行くと良いこともありますヨー。