プロジェクト135パート2 第63回 (マレーシア)ジョージ・タウン(ペナン)

 ジョージタウンというよりペナン島といった方が有名かも知れません。前回のマラッカと同時に2008年に世界遺産として登録されましたが、私はそれよりずっと以前、1980年頃からペナン島に興味を持っていました。私事で申し訳ありませんが、我がトーチャンが若い頃ペナン島へ行き、海に沈んでゆく夕陽の見事さに感激、何度も何度も、40年も、今に連れて行くといい続けていたのです。朝日、陽の出は見た事がありますが、海じゃなくとも夕陽の沈むのはあまり見た記憶がありません。今回ようやく念願のペナンへ行く事が出来ました。世界遺産でなくとも、海に沈む夕陽が見られれば今回は良かったのです。スミマセン。
 
■今回場所は
 

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今回トーチャンは力が入っていました。団体旅行でなく、往復の飛行機とクアラルンプールのホテルだけ予約して、あとは全て現地で手配したのです。現地で、ペナンは汽車で行くか、飛行機か、ハテマタ長距離バスか?ホテルは?はこのオニーさんとアーダコーダやって決めました。
 
結論はバスでした。日本で買ったガイドブックには7時間と書いてあったので飛行機にするか悩んでいたそうですが、二階建てバスで4時間半、途中トイレ休憩もあり、使いませんでしたが、バスにトイレも付いているというデラックスバス。二階の一番前でワクワクしながら行きました。
 
ペナンまでは快適な高速道路が続きます。ちなみにマレーシアは左側通行です。イギリス植民地時代に道路行政は整えられたのでしょうか?
 
ペナン島とマレー半島は二つの道路で結ばれています。これはその一つペナン大橋です。その他にフェリーボートもあるそうです。何といっても二階の最前列に座っているのでよく撮れます。
 
あれが待ちに待ったペナン島です。
 
だが、しかし、何と島には高層ビルがあるではありませんか!
 
そーなのです。トーチャンの話からの印象では、こんな景色に夕陽が沈み、百楽大飯店、(パラダイスホテル)のテラスでシーフードに冷えた白ワインをいただく筈でした。
 
静かな海、現地の若者達、西の方に夕陽がありそうな気配はありましたが、百楽大飯店は誰に尋ねてもありませんでした。
 
ヒヨコを連れたお母さんは居ました。
 
テラスといえばテラスのような物はありました。
 
でも現実には、着いてみたらこんなに現代的なリゾートホテルでした。
 
イエイエ、決して文句をいっているのではありません。想像していたのと違うといっているだけなのです。トーチャンが奮発してくれたのは解っているのです。でも違う。
 
夕飯は期待しろ、日本のガイドブックにも載っているシーフードレストランに予約とれたぞ、とのお言葉。その名も何とEND of the WORLD。ハイ期待しましょう。
 
ジャーン!!着いたら何と!!これが予約のとれたレストラン?
 
マーマー、オバーチャンと国旗を立てて大歓迎を受けました。
 
料理はおいしかったですョ!!
 
自転車もありましたョ。
 
犬もいましたョ。
 
帰りのバスだってRM1.4 ¥40ぐらいで安かったですョ。
 
前日は40年前の思いれの多いペナン、今日はいよいよ世界遺産巡りです。まず、これがコーンウォリス要塞を外から見たところです。1786年にキャプテン・フランシス・ライトが初めて上陸した場所に建造されたもの。
 
コーンウォリスというのは当時の東インド会社の提督の名前だそうです。
 
当時のイギリス兵です。大分太めです。
 
これがキャプテン・フランシス・ライトです。多分。
 
これが現在の守備兵です。
 
中国人実業家がイギリスのビクトリア女王にささげるために創立したもので1902年に完成した時計塔。
 
ペナンは自転車の多い島でした。
 
現地の人達も自然に乗っていました。
 
自転車道路というか、乗る場所も割と整った感じでした。
 
自転車屋さんもたくさんありました。
 
貸自転車屋さんと思える店もたくさんありました。
 
かなり本格的な自転車屋さんのようでした。
 
ジョージタウンの町は、ひとつづつの世界遺産というよりも町そのものが歴史を感じさせるたたずまいでした。
 
これが東南アジア最古の英国教会といわれるセント・ジョージ教会です。
 
これがペナン島最古の中国寺院といわれる観音寺です。お線香で良く見えません。
 
これがペナン島最大のモスク、カピタン・クリン・モスクです。
隣の観音寺のお線香で良く見えません。ナーンテネ。何だかカメラの調子が悪くなって来ました。暑さのせいでしょうか?
 
カメラを冷やしにコーヒーショップで一休み。
 
そしてまたお寺、まだカメラ不機嫌ですネ。
 
ここでもまだ。
 
オバさん暑さに気を付けて、と言ってくれたのでしょうか?
 
ペナンはストリートアートでも有名なのだそうです。大相撲も始まります。
 
この辺まで来て、カメラも機嫌を直してくれたようです。
 
ペナンだけではありませんが、マレーシアにはこのような人、(バックパッカーというのでしょうか)がたくさんいました。
 
書いてあることが解ったらもっと面白いんでしょうけどネ。
 
こんな感じのお寺とも集会所とも知れない所が至る所にありました。
 
チョンファッツィ・マンションです。マラッカのババニョニャヘリテージのジョージタウン版です。
 
19世紀末のペナンを牛耳っていた「東洋のロックフェラー」と呼ばれたチョンファッツアの住まいだそうです。
 
通称ブルーマンションと呼ばれるそうですが、私にはババニョニャヘリテージの方が迫力がありました。
 
サー、バスに乗る前に食事です。ようやく大好物のシャコにありつきました。
 
そいでもってミル貝でしょ、、、。
 
オジサン、人のシャコ掴まないでョ!!
 
モー、知っている人いないもん。この方が美味しいもん!!
 
アーお腹いっぱい。でも、トーチャンはペナンのどこを見せたかったのかなー? 40年前とどっちが良かったのかなー?
帰りのバスでトーチャンは”アー、ペナンなんて来なければ良かった”とボソッと言っていました。最後のシャコ美味しかったから良かったじゃないというともっと機嫌が悪くなりそうだったので黙っていました。お前はデリカシーに欠けるといわれるのですが、そんな事ありませんョ。安心してください、黙ってもいられるのです。40年前と何がどんなに違っていたのか私には解りませんし、今回も結構良かったと思うのですが、何を言ってもこんな時はますます機嫌が悪くなるのでただただ黙っていました。クアラルンプールに着いて、バス停のあるホテルの日本食を奮発、日本酒を飲んだら、とたんに機嫌が良くなりました。難しそうな顔してて案外単純なんです。私、扱い方上手なんですョ。何しろ40年も扱ってるんですから、、、。今回連れ合いは悲しそうでしたが、まだまだ止めませんョー。この珍道中は続きます。お付き合い下さい。