プロジェクト135パート2 第62回 (マレーシア)マラッカとマラッカ海峡の古都群

 この、世界遺産を巡る旅をしていて良い事はいろいろありますが、なかでも私にとって有難いのはその地のことを詳しく理解出来る事です。
 行く前は、マラッカといえば海賊ぐらいしか想い浮かばなかったのですが、どうしてどうして、マラカ王国、ポルトガル、オランダ、イギリス、一時の日本占領、そしてマレーシア独立まで、変化に富んだ興味深い場所でした。この135を書かしていただいているので、ただ見てくるだけでなく、私なりに調べたりして、自分でなるほど、あそこはそんな意味のある場所だったのか、と納得したりしています。
マラカはシャムの脅威に対抗する為、明との朝貢貿易を盛んにし、中国からの人々が移住していた時代、アラブ商人との間接貿易から直接の交易を求めて攻めてきたポルトガル、代わってオランダ、そしてイギリスの植民地だった時代など、人種、宗教、文化が入り混じり、1957年に独立したあと、現在もマレー系67%、中国系25%、インド系7%と混じりあっています。
 マラカはマレーシアの主都クアラルンプールから南へ150kmほどバスで2時間ほどのほとんど赤道直下といって良い位地にあります。
 
■今回場所は

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(マレーシア)
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いきなり食事ですみません。まるでお風呂上りのようでしょ?これが赤道直下なのです。何せ10℃ぐらいの日本から、いきなり33℃でしたのでこの通りです。
 
これがババ・ニョニャ料理です。マラッカはババニョニャによって発展したのだそうです。
 
ババ・ニョニャとは?私がニャッとすること?そんな訳はありません。
 
その古、中国本土から渡ってきた男性と地元のマレー系女性とが結婚して生まれた子孫のうち、男性がババ、女性がニョニャと呼ばれ、独自のババ・ニョニャ文化を築いたのだとか。これが中国人男性と現地女性。
 
これが、その間に生まれたババとニョニャです。
 
ババ、ニョニャは商工業で財をなし、ババニョニャヘリテージと呼ばれる豪華な住まいです。外観は大した事ありませんが、、、。
 
内はすごかったですョー。ホールまでしか撮影出来ないので、全部は紹介できませんが、ホールだけでも大したものです。
 
二階もあるのです。これはホールから撮っています。
 
オランダもそうですが、間口の巾に税金がかかるとかで、玄関はともかく、内部の豪華さ、それに奥行は100mもある家もあったのだそうです。
 
その大富豪が愛用した?当時の自転車です。
 
これが現代のマラッカの自転車です。
 
赤道直下でも自転車は活躍しています。
 
マレーシア最古の中国寺院といわれる青雲亭です。
 
本堂の屋根の上に飾られている動物や人の像が見事でした。
 
現地の人達は帽子なし。帽子を被っているのは日本人、トンボのサングラスは中国人だそうで。
 
ほらね、日本人は帽子被っているでしょう。これがオランダ広場です。
 
カンポン・クリン・モスクというそうです。スマトラ様式の屋根と白亜のミナレット。独特です。
 
これがイスラム教のモスク、といわれてもネー。
 
オランダ広場から登るとセントポール寺院があります。日本でなら何ということのない丘ですが、赤道直下、33℃。それで汗だくになってしまったのです。
 
フランシスコ・ザビエル像。彼の遺体はここに9ヶ月安置されたあとインドのゴアへ移されたそうです。右手がないのはここに右手だけ残したとか、ここへ来る前になかったとか、説明は聞いたのですが、暑くて暑くて忘れました。
 
セントポール寺院といっても、今はその外壁が残っているだけでした。
 
セントポール寺院から見下ろすサンチャゴ砦です。今は門の部分しか残っていません。その向こうに砦の外壁が囲んでいたそうですが、イギリスが勝った後取り壊したのだそうです。
 
これがポルトガルがオランダとの戦いに備えて造ったサンチャゴ砦の門の跡です。
 
昔はこんな具合に海と運河に囲まれたお城だったようですが、今、残っているのは門だけ。おまけに周りは埋め立てられていて公園の中のようでした。
 
これが、かつての王宮のレプリカだそうです。
 
赤道直下をこれだけ巡ってきたのですからご褒美、ご褒美。それにしてもマレーシアのビールは高いですョー。これでRM17。17マレーシアリンキット、500円くらいでしょうか。タクシーの初乗りがRM6.00¥180ぐらいですから、高い高い。
 
これが、かの有名なマラッカ海峡です。この15~20kmほど向こうがインドネシアのスマトラ島です。1824年、イギリスとオランダが英蘭協定を結んで、マラッカ海峡のこっち側マレーシアを英国が、むこう側インドネシアをオランダが占領することを決めたのだそうです。
 
そもそもマレーシアには太古からこのような家に原住民が平和に暮していたに違いありません。それが、香辛料が取れたり、良い風待ちの港があったりと自分達に関係のない国の人々が勝手にオラの領土だ、などといわれて現地の人々はさぞ迷惑だったことでしょう。
 
人間よりもっと古くから住んでいただろう象は、今、マレーシア全土で1000頭ほどになってしまったそうです。これはその保護活動のひとコマです。
 
マレーシアは1957年の独立以来めざましい発展をとげています。クアラルンプールは今や世界でも有数の大都市です。
 
でも、住んでいる人は太古の住民とあまり変わらないようです。多少色の違いはあっても現代の日本人ともあまり変わらないようです。こーやって、腹を割って(出して)話せば、世界は平和なのだ!とトーチャンはいうのですが、、、。これでこの黄色いオジサンはエビを一匹焼いてくれました。
クアラルンプールまでは成田からおよそ7時間、食べる物はおいしいし、種類は多いし、安いしとても良い所です。ビールが高い、暑い、は我慢のうち、歴史ある興味深い国でした。人々も大きくなく、安心感がありました。ここは皆さんおすすめします。次回はクアラルンプールから北へ350kmほどのペナンへ行きます。お付き合い下さい。