プロジェクト135パート2 第54回 (アルメニア)ハフバトとサナヒンの修道院群

 私達は行く前はアルメニアの場所も分かりませんでしたし、どんな歴史があるのかも全く知りませんでした。我がトーチャンはブランデーのアルマニャックの産地だという事は知ってました。フランスのコニャックに対抗出来る、チャーチル元首相がこよなく愛したブランデーだそうです。イギリス人のチャーチルさんはフランスのコニャックは飲みたくなかったのかもしれません。在留邦人はたったの5名、と案内に書いてあるほど日本にはなじみの薄い国なのかもしれません。オーストリアの指揮者といわれているヘルベルト・フォン・カラヤンは実はアルメニア人だったとか。
 
■今回場所は
 

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ジャン!!これがトーチャンが買って来たアルマニャックです。トルコとの国境の山アララト山の名前がついているのですから、すごく高かったのだと思います。だってアララト山は5,000m以上あるのですから。
 
この地図の右側が前回行ったアゼルバイジャン、赤丸が首都バクーです。その左側が今回のアルメニア、赤丸が首都エレバンです。そして左上の赤丸がグルジアの首都トビリシです。私達はバクーからアルメニアへ行くのにグルジアのトビリシまで飛行機で行き、そこからバスでエレバンへ入りました。アゼルバイジャンとアルメニアは国境紛争があり、直接は行かれないのだそうです。
 
グルジアの首都トビリシからアルメニアの首都エレバンまではバスで260kmほど途中で修道院などに寄りながら行くのですが道中はこんな景色です。右の方の旗がグルジア国旗です。
 
ロシア時代からあったと思われる施設。
 
道路端には物売りがたくさん。
 
道路上は自動車より牛の方が偉いのです。
 
ようやく道路からはずれてくれました。
 
ガス管はいたる所でこのように見られます。
 
グルジアとアルメニアの国境付近です。国境は撮影禁止。撮りたかったのですが…。
 
いよいよアルメニアに入りました。この人達は何をしているのでしょう。
 
かくしてハフバト修道院です。976年に出来たのだとか。
 
巨大、という感じより、古そう、という感じでした。
 
大きな村の教会、といった感じです。
 
1000年以上も前に、人々はよくもこんな物を造れたものです。
 
外壁の彫り物も1,000年以上経っていると思うとなかなか。
 
ユネスコ世界遺産のお墨付きです。
 
内部は至って素朴なもので、ケバケバしい装飾は何もありません。観光客も日本人団体客が1組、私達だけです。
 
何も手を入れてない所が世界遺産なのでしょうネ。
 
天井も丈夫そうではありますがまるで飾り気がなく、心安らかに見られました。
 
壁に石の十字架が彫られています。
 
そこら中、十字架だらけでした。
 
これでもか十字架。
 
日本で世界遺産に登録されたら、町の情況が変ってしまうくらい、人が来ると思うのですが、ここでは私達がいる間、他の人は誰も見ませんでした。どちらが良いのか分かりませんが静かでした。
 
人はいませんでしたが羊はいました。1,000年前からいるかのようでした。
 
ハフバト教会からサナヒン教会への途中にモリブデン鉱山跡という所がありました。
 
跡、だとばかり思ったら、実はまだ操業しているのだそうです。鉱山資源はアルメニアの重要産業の1つだそうで、銅、モリブデン、銀、金などが採れるそうです。
 
この鉱山も最盛期の20%ぐらいの生産をしているそうです。
 
到着です。サナヒン修道院のお墨付きです。SANAHIN-CHURCHと書いてあるので教会なのでしょうか?
 
これはさっきのハフバト教会より10年古く、966年と書いてあります。確かに古そうです。今になっての10年の差が分かる訳ないですネ。
 
でも古そう。
 
オバケでも出そうですネ。
 
なにしろここも十字架だらけでした。
 
もうこの辺まで来ると疲れて来るし、全部同じように見えて来ます。
 
でもこの辺のは、前のところと違うかもしれません。
 
ネコだかキツネだかが屋根を支えています。
 
ネコかキツネか悩んでいるところです。
 
1,000年前に、大した道具も、ましてや重機など無かったでしょうに、宗教の力ってすごいですネ。
 
それにしても、本当に人の少ない世界遺産でした。
アルメニアは世界で一番早く301年にキリスト教を国教と定めた国なのだそうです。トルコやロシアの影響で今現在は領土は小さく人口も少ない国になっていますが歴史も古く、誇り高い人々が住んでいる国アルメニア。その古き良き時代の遺産を見せてもらいました。次回も同じアルメニア、ゲルガド修道院とアザト川流域、ガルニ神殿を訪ねます。おつきあいください。