プロジェクト135パート2 第42回 (ウズベキスタン)サマルカンド・文化交差点

 サマルカンドは中国から地中海への交易路シルクロードの中間あたりになります。また、ロシアとインドの交易路も南北に通っており、二つの大きな交易路の交差点だったのです。また、その地理的に、ステップ気候から地中海性気候への移行部特有の抜けるような青空とモスクの色から「青の都」とも呼ばれています。ダイヤモンド社「地球の歩き方」を探すと「中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々」ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、トルクメニスタン、タジキスタンのタイトルで1冊になっています。つまり、サマルカンドは中央アジアを代表する都市なのです。では、いざサマルカンドへ。
 
■今回場所は
 

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これがウズベキスタンの抜けるような青空です。この写真はサマルカンドではなく、タシケントの空港ですが青空は同じです。
 
これがサマルカンドへ行く汽車の駅です。まだタシケントです。
 
これがタシケントからサマルカンドへ行く高速列車と車掌さんです。スタイルは良いのですが、サービス精神はゼロ。ニコリともしませんでした。
 
社内ブュッフェで密談するあやしい一団。窓際のサイフを見て下さい。かなり部厚いでしょう?現金取引きの何か悪事を企んでいるような……。
 
なーんて冗談です。ウズベキスタンの通貨はスム、10ドルで25,000スムも来るので、ホラ、私だってこんなに大金持ちなのです。
 
やって参りましたサマルカンド駅。何といっても列車の揺れ方は尋常ではありませんでした。列車を降りて思わず万歳してしまいました。日本の新幹線はスゴイ、と知りました。
 
ウズベキスタンは、帝政ロシア、ソ連の支配下が長かったのです。これはその当時の名残り、列車の車掌さんの愛想のなさもその名残りなのでしょう。
 
これもその当時の名残りでしょうか?でも、これは世界遺産ではありません。
 
これが世界遺産の一つ、アミール・ティムール廟の門です。
 
遠くから見るとこんな具合です。
 
ドームの先端をつまんでみようと思ったのですが、うまくいきませんでした。
 
この人がウズベキスタンの英雄、ティムールです。廟は1404年に完成したそうですが、彼は1年後、中国遠征の途上で急死してしまったそうです。
 
中央の黒い棺がティムールの棺、他はその一族の棺です。
 
まわりの壁は青と金色がほとんどです。
 
外から見るとこんな感じです。
 
内側はこんな感じです。
 
ところで、ウズベキスタンの人達はとても人懐っこいというか、日本人が珍しいのか、いろいろなところで一緒に写真を撮ってくれました。これは我家のカメラで撮ったのですが、もっとたくさんあちらのカメラで撮ってくれました。
 
それにしてもイスラム教のえらい人の廟は、すぐモスクや神学校が併設されて立派な上に立派になってしまいます。
 
文化交差点の所以たる、レギスタン広場です。それぞれの建物は神学校のあとです。
 
正面右側がシェルドル・メドレセです。
 
正面奥がティラカリ・セドレセです。
 
正面左側がウルグベク・メドレセです。メドレセというのが神学校のようです。
 
内側ドームはこのように青と金、豪華絢爛です。
 
カメラも腕も、こんなものにしか撮れませんが、本当は見ると、うなります。
 
内側、神学校あとです。
 
2階が寄宿舎だったようです。
 
翌朝、朝食前に歩いて広場の裏からまわって見ました。神学校は逃げられないようになっていたようです。
 
通用口のような所から広場へ入ってあの塔はまっすぐじゃない、などとのんびり歩いていたらピーッピーッと警備員の様な人が走って来てワーワーワーといっていました。アーラ何か?と引き返してきたのですが、どうやら開門前に従業員通路から入ってしまったようです。どうりで人がいなくてとても良かったのに…。
 
朝、自転車に乗って来たオジさんと。この自転車のマークよく見て下さい。メルセデスベンツですヨ。この人よっぽど好きで、ドロヨケにマークをつけちゃったようです。
 
サマルカンドには、いろいろなものが、もっとたくさんありました。何が何だか、あとの方は分からなくなるくらいいろいろありました。
 
これは何でしたっけ?
 
これは六分儀のあとです。
これは博物館。
 
これはそこにあった壁画です。
 
ちょっと長くなってしまいましたが、これがシャーヒズインダ廟群の遠景です。ティムールゆかりの人々の廟が山の上までずらーと並んでいます。
 
廟群の入口です。ヒマそうなおまわりさんが、いやがらせに立っています。
 
見て下さい、この左右の青いタイルで飾られた建物のひとつひとつが廟なのです。
 
ひとつひとつ見事な壁が続きます。
 
この廟群だけでも世界遺産になると思うほど立派です。
 
入口の一つ、この扉ひとつとっても素晴らしいものです。その上、皆、平気でさわれるのです
 
ティムールにゆかりの人の廟といっても個人の墓ですヨ。すごいですネー。
 
どんなに権力のある人だったのでしょう。
 
これが、延々と続くのですから、もー私なんか何もいえません。
 
これが廟群のワキにある普通のお墓です。
 
これがサマルカンドの現代の姿です。
 
今夜のご馳走はこれです。
ついつい長くなってしまいました。サマルカンドは見るものがたくさんありました。食べるものは文句ありませんでした。中央アジアで一番歴史的にも語るべき物の多い場所なのでしょう。世界遺産である事の必然性が感じられる町でした。サマルカンドのナンは有名なのだそうですが、それほどでもありませんでした。さて次回は“聖なるブハラ”といわれているブハラへ行ってみましょう。