プロジェクト135パート2 第40回 (インド)チャトラバティー・シヴァージー・ターミナス駅

 この駅はインド、ムンバイ(旧ボンベイ)にあるイギリス植民地政策を象徴する駅です。1887年から1888年にかけて設計され建築には10年かかり、ヴィクトリア女王の治世にちなんでヴィクトリア駅と名付けられました。その後、インドにおける改名義論の一環として、17世紀のマラーター王国の王チャトラバティー・シヴァージーにちなんで現在の名称に改名されたそうです。ボンベイがムンバイになったのと同じですかネ。この駅舎はヴェネツィア・ゴシック建築様式で、インドの伝統的建築との融合が見られるとか。
 
■今回場所は
 

より大きな地図で プロジェクト135 第40回(インド)チャトラバティー・シヴァージー・ターミナス駅(旧名 ヴィクトリア・ターミナス駅) を表示
 
 
ムンバイといえばインド門が有名です。左がインド門、右が泊まったホテルです。
 
インド門は1914年に設計が完了、1924年に完成したそうです。
 
大して大きく見えませんが、中央のドームの幅が15mもある大きな門です。
 
インド独立に伴い、インドから帰還する最後のイギリス軍が1948年2月28日にこのインド門をくぐってイギリスによる統治が終ったそうです。
 
これがターミナス駅と対をなしているようなムンバイの市役所です。
 
この右側が世界遺産のチャトラバティー・シヴァージー・ターミナス駅です。
 
間違いなくゴシックの立派な建物なのですが、逆光で…
 
市役所には光がよくあたっているのですが駅は全景を撮ると逆光になってしまって、今回は失敗でした。
 
でもムンバイ市内の自転車は撮れました。
 
トーチャンは自転車を撮る事に情熱があるのです。
 
逆光のターミナス駅はこのくらいにしてムンバイで忘れてはいけない場所へ行って見ましょう。
 
ここがマニ・バハン・ガンジー記念館です。
 
日本ではマニトバ・ガンジーという事が多いですが、現地でもらったパンフレットにはマニ・バハン・ガンジーとなっていました。
 
この家が、マハトマガンジー(こうも書いてありました。)指導のもと独立運動をした記念館です。
 
ガンジーはこの部屋で勉強したのだそうです。同じ部屋でも、高潔になる人とそうでない人があるのです。
 
右側のピンクの女性は団体で学びに来ていた多分インドの高校生です。
 
ムンバイの自転車その3。
 
その4
 
さて、逆光で失敗のターミナス駅をあとにしてちょっとインドの南へ行って見ましょう。ムンバイの国内線、スパイスジェットとはよくもつけたものです。景気悪そうです。この会社。
 
ムンバイから飛行機で2時間、コーチンという所へ来ました。人々の着ている物が違います。
 
これはバスを待っている人々です。
 
その横をカラフルなお嬢さんが颯爽と走ります。
 
三輪タクシーの運転手もフレンドリーです。バスの中から恐る恐るカメラを向けたらこのポーズ。
 
これがこの辺の一般的なスタイルです。暑くなればこの様に半ズボンの様にたくし上げます。
 
普段はこのように長スカートで着ています。
 
自転車に乗る時は大体たくし上げている人が多いようです。
 
コーチンから車で2時間半、運河を行く船に乗りました。
 
運河沿いは観光船がたーくさん。渡し船もスイスイ行きます。
 
岸では人々の普通の生活があります。
 
村では床屋さん、全くの日常生活です。
 
アヒルの放し飼い。今晩のおかずでしょうか?
 
ウーン、インドって広いし、古いし、何て言ったらよいのかなーと旅のあれこれを思っているところです。
第36回の古代仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ…から始まった今回のインドの旅は今回のイギリス撤退、インドの独立で最終回です。今回は歴史に沿って見る事が出来、詳細は分かりませんが大筋でインドの歴史が何となく見えたような気がしています。吉野ヶ里、奈良、京都、鎌倉、広島などを見て来たような感じです。次回はウズベキスタンへ行きます。おつきあい下さい。