プロジェクト135パート2 第38回 (インド)デリーのクトゥブ・ミナールとその建造物群

 エローラ石窟群(第37回)は仏教遺跡、アジャンタ(第36回)は仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教の遺跡でしたが、今回は時代が下ってきて1,200年頃に造られたイスラム教のモスクにあるインドで一番高い石造物、72.5mのクトゥブ・ミナールを紹介します。ここはニューデリーの郊外約15kmの所にあり、インド最古のイスラム遺跡群といわれています。1192年、クトゥブ・ウッディーン・アイバックという王様が、北インドを制圧した記念に建立したのがクトゥブ・ミナールです。本来は礼拝の時を知らせるためのものですが、イスラムの力を国内のヒンドゥー教徒たちに誇示する意味合いが強かったようです。今回はこの遺跡と、デリーの町の様子を併せて紹介します。
 
■今回場所は
 

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町には、何をしているのかよく分からない人達が大勢います。
 
人の多いこと、この黄色と緑の三輪タクシーの多いことは驚きです。
 
あと、人力輸送車も多かったです。
 
インドは、日本と同じく車は左側通行が基本なのですが、行かれればどっちでも良いのです。
 
ネッ何をしているのか分からない人があっちこっちにいるのです。
 
自転車は多かったです。
 
車も多かったです。片側二車線の道路を横4列で平気で走っていました。
 
やってまいりましたクトゥブ・ミナールです。ミナールというのはミナレット、イスラム礼拝堂モスクの横に必ずあるといえる礼拝の時間を知らせるための塔です。
 
この塔は五層になっていて、上の方がだんだんに小さくなっているのでより高く見えるそうです。
 
内側には400段近い階段があって、以前は上まで登れたそうですが、修学旅行生が登っている時に停電になり、パニックになった子供達に死者が出て、それ以降入場禁止になってしまったそうです。
 
アイバックが制圧する前はヒンドゥー教の寺院があり、30近い寺院をこわしてこのモスクを造ったのだそうです。
 
ヒンドゥー教の寺院に使われていた石材を使って、イスラム教のモスクが造られた訳です。
 
この写真の右側に立っている黒っぽい柱が「錆びない鉄柱」と呼ばれる柱で、12世紀にこのモスクが出来るずーっと昔、西暦415年に造られたヒンドゥー教の寺院にあったものだそうです。
 
何故「錆びない」と呼ばれているか?実際にはすこし錆びていましたが、これは純鉄で出来ているうえにリン酸化合物でコーティングしてあるのだそうです。確かに1,500年も経っているにしては錆びていませんでした。
 
「……とその建造物群」遺産の名称が付いているようにいろいろな建造物がありました。
 
石柱の彫刻は植物の様でした。
 
アジャンタやエローラは仏教、ヒンドゥー教などで仏像の彫刻がたくさんありましたが、ここはイスラム教のモスクですから、偶像はないのです。受けうりですけど。
 
しかし大きな遺跡です。これが1人の王様がその気になって建造したというのですからその権力はすごかったのでしょうネ。
 
それだけではありません。この未完成の円形の建造物は未完成のアラーイ・ミナールというそうですが、完成したら今あるクトゥブ・ミナールよりも高くなった筈なんですって。まだそんなもの造るつもりだったようです。
 
建造物群のなかにはこんな物もありました。
 
ナンでしょう?
 
玉ねぎのカレーです。
 
チキンのカレーです。
 
ホウレンソウです。カレーではありません。
 
これがこんな風に出て来ます。そして毎日毎日続くのです。鉄の胃と呼ばれる私達もさすがに帰国した時は食欲がなくなっていました。
ヒンドゥー教徒の地に攻め込んだイスラム教徒が、北インドを制圧した記念に造ったクトゥブ・ミナール、実際に建造したのはヒンドゥー教徒の職人達で、イスラム教のモスクでありながらヒンドゥー教と混っているのだとか。ヒンドゥー教寺院に使っていた石材を使用したので、偶像の彫刻などのある部分は裏にしたり削ったりして使ったのだそうです。時代がもっと下ると、ポルトガルとかイギリスとかがキリスト教をひっさげてインドに来る訳で、歴史、権力と宗教との関係はとても興味深いものです。インドは特に、今回の旅行は特に、その変遷の良く見える旅でした。次回もデリーから16世紀にフマユーン廟を紹介します。おつきあい下さい。