プロジェクト135パート2 第24回 (トルコ)イスタンブール歴史地域

 皆さん、トルコというと、どの地域にある印象でしょうか?ヨーロッパですか?アジアですか?正解は国土の95%はアジア、アナトリア半島であり、人口の90%がアジア側に住んでいるそうです。言語も東アジアでみられるアルタイ語系なのだそうです。でも、経済的、政治的にはトルコはヨーロッパの一員として分類されており、トルコ政府の公式見解では自国をヨーロッパの国としており、サッカー協会やオリンピック委員会はヨーロッパの統一団体に属しています。アジア側のアナトリア半島(小アジアともいうそうです。)とトルコ最大の都市イスタンブールは、古代からヒッタイト、フリュギア、リディア、東ローマ帝国などさまざまな民族、文化が栄えた地です。15世紀にビザンツ帝国を滅ぼしてイスタンブールを都とし、東はアゼルバイジャンからモロッコまで、北はウクライナから南はイエメンまで支配したオスマン朝が大帝国を打ち立てました。19世紀になってオスマン帝国は衰退しはじめ、第一次世界大戦にやぶれ、ギリシャなどの占領下におかれましたが、1920~22年に建国の父といわれるムスタファ・ケマル・アタテュルクの指導のもと現在のトルコ共和国が出来ました。地勢的、民族的、歴史的にトルコはとても複雑な国です。中でもイスタンブールは、正に混沌とした都市です。ほんのさわりしか見てきていないと思いますが、ご一緒しましょう。
 
■今回場所は
 

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これが36代続いたオスマントルコ帝国の王様達の画です。
 
左上の人が初代の王様
 
右下の人が最後の王様です。
 
トルコは何といってもイスラムの国、このような衣装の人がとても多かったです。
 
別に観光用にこの格好をしているのではなく、町の中をごく普通にこの様に歩いているのです。
 
民族衣装ではありますが、とても体格の良い人が多く、私が華奢に見えてしまいます。
 
イスラム教の国ですから当然なのですが、モスクの多さには驚きます。
 
イスタンブールでは人の多さに驚きます。
 
モスクであれ、博物館であれ、この日が土曜日という事もあったのでしょうが、入場券を買うのにこの列です。
 
グランドバザールという市場で一時間ほど自由行動があったのですが、人、人、人で迷子にならないように帰って来るのが精一杯でした。
 
イスタンブールは歴史地区として世界文化遺産になっていますが、とにかく、歴史を感じさせる建造物がおし気もなく、そこら中にありました。これはヴァレンス水道橋です。ローマ時代の378年に完成したそうで、高さ20m、長さ800mほどが残っています。タクシーなどが、そのアーチの下を普通に通り抜けています。
 
これは空港から市内へ行く道のすぐそばに続く城壁の跡で、今ではとぎれとぎれですが、かつてはイスタンブールの町はこのような城壁で外的の侵入を防いでいたのだそうです。
 
イスタンブールの旧市街では地価の貯水池が数ヶ所発見されていますが、中でもこのイェレバタンの貯水池は4世紀から6世紀にかけて造られたものといわれています。
 
この貯水池の全体は縦140m、横70m、高さ8mほどで250本ほどの柱で支えられています。そんな柱の中の一本、手をつっ込んで願い事をすると叶うそうです。私のお願いには神様はまだ応えて下さいません。
 
いちばん奥まった所、柱の礎石にメデューサの顔が使われていました。何故、逆さまに置かれているのでしょう?
 
さて、それでは外へ出てみましょう。ここはヒッポドロームという、ローマの大競技場の跡です。かつてここは縦500m横117mのU字型競技場があり、戦車競技が行われていたそうです。
 
これはドイツのヴィルヘルム2世から寄贈されたドイツの泉と呼ばれている建造物です。
 
文化遺産には入っていませんが、自転車もいました。
 
サイズが合うとか合わないとかはいわないようです。
 
この人、自転車停めてどこへ行ってしまったのでしょう。
 
あと、とても目についたのが猫です。
 
イスタンブールばかりでなく、トルコ中で猫を見ました。
 
ギリシャ正教の大本山として君臨しながらも、後にイスラム寺院に姿を変えたというイスタンブールを代表する建物アヤソフィア博物館の内部です。
 
キリスト教の時代、イスラムの時代などにより、モザイク画は漆喰で塗りつぶされていたそうですが、1931年、アメリカ人の調査隊により、壁の中のモザイク画が発見されたあと博物館として公開するようになったのだそうです。
 
ところどころはげ落ちていますが、十分に見られるものもあります。
 
2階、といっても5階ぐらいの高さがあります、ここから見るとその大きさ、規模が良く分かります。
 
全くの聞きかじりですが、キリスト教はイエスキリストやマリア様などの偶像を祟拝しますが、イスラム教は偶像はなく、幾何学模様や唐草模様などが多いそうです。これはイスラム教の時代のものでしょうか?
 
さて、この日のお昼は中華でした。
 
中華の料理そのものよりも、お茶を注いでくれるこのパフォーマンスが楽しかったです。
 
このイチゴ、とてもおいしそうに見えますが、何とも。果物は日本が一番おいしいと思います。
 
中華レストランの前の広場に出ていた屋台です。KESTANE 100g 5リラ(250円)。さて何でしょう。
 
答えは焼栗です。
 
では次はスルタンアフメット・ジャーミイ、愛称ブルーモスクです。モスクで礼拝する人は外で足を洗い、手を清め、スカーフを被ってから入ります。足洗い場です。
 
このモスクは、6本の尖塔(ミナーレ)と高さ43m、直径27.5mの大ドーム、4つの副ドーム、30の小ドームを持ち、オスマン朝建設の傑作のひとつとして高い評価を受けているそうです。
 
私達観光客もスカーフを被って入場させてもらえます。
 
お祈りをする場所です。この絨毯はエチオピアから贈られたものだそうです。
 
ドームには260もの小窓があり、2万枚以上のタイルは青を主体としたもので、そこからブルーモスクの愛称がついたそうです。
 
イスタンブールでは、このほかにトプカプ宮殿とかドルマバフチェ宮殿とかいろいろ行きました。そんな中からモザイクなどのきれいだった所を何点か。
 
そして帰りの日、与えられた自由時間で市電を見つけたのです。
 
何が何だか、どこへ行くのかも分からずに乗りました。
 
チャンと時刻までに帰って来ました。そして、飛行機に乗る前に、アジアとヨーロッパを隔てるボスボラス海峡を行く遊覧船にのったのです。
 
向こうに見える橋がアジアとヨーロッパを結ぶファーティス・スルタン・メフメッド大橋です。石川島播磨が作ったのだとか。
 トルコは想像してたよりずっと民度の高い国でした。ゴミはポイ捨てしない、車は大渋滞していてもクラクションを鳴らさない、行列は正しく並ぶ。例外はありますが、前回のモロッコやその前の雲南省などに比べると、とても進んでいるように感じました。イスタンブールは人も車も多くて、特に土日だったせいもあるでしょうが、予定通り日程が進まずイライラする事はありましたが、ズルする事にイライラするのは少なかったと思います。食べる物もあまり違和感なく過ごせました。一番おいしかったのは? ザクロとオレンジのミックスジュースです。大体分かるでしょ?
 毎回感じるのですが、実際に自分で行ってみないと分からない事が世界はたくさんあると、行けば行くほどに感じます。残念乍ら我が夫婦は予習をしません。帰って来てからこの原稿をまとめる為にガイドブックをひっくり返したり、インターネットで調べたりしてつじつまを合わせています。アーそーだったのか、と後になって思いあたることが度々です。行く前に調べておけば、もっと楽しいのかもしれませんが、行った時の感激が薄れてしまうかもしれません。まー、このくらいで、あんまり一生懸命にならないで長続きさせられればと思っています。おつきあい下さい。
 次回は久々に国内、京都へ行きます。