プロジェクト135パート2 第22回 (トルコ)ハットゥシャ:ヤズルカヤ遺跡

 今回のトルコ旅行で案内してくれた現地ガイドによれば、トルコは遺跡だらけなのだそうです。建築などで土地を掘ると遺跡が出て来て、発掘調査まで建築に待ったがかかってしまい、アーア遺跡が出て来ちゃった、といった具合だそうです。もちろん全部が世界遺産になっている訳ではありませんが、なっていなくとも素晴らしい所がたくさんありました。むしろ、なっていない所の方が分かりやすいところもありました。今回でも前回と同じように、ハットゥシャ:ヤズルカヤの世界遺産をご紹介するのと同時に、その他の遺跡も合わせてご紹介します。
 ところで皆さん、世界の国々の自転車の保有台数ってご存知ですか?調べてみました。中国41,000万台、アメリカ12,000万台、日本8,700万台、ドイツ7,000万台、ブラジル、インド、フランス、イギリスなどが続き、トルコは24位までに入っていません。人口100人当りの保有台数だとオランダ109台、ドイツ、デンマークと続いて日本は68台で第6位。トルコは同じく24位(インドの4台)までにも入っていません。トルコに行っている間、何と自転車の少ない国だろうと思ったのは正しかったのです。
 
■今回場所は
 

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ジャン!今回の旅でただ一回、団体から離れて個人で夕食を摂りました。ムール貝の煮込みでしょ。
 
シーフードです。イカのフライ。
 
大きな魚のからあげ。とてもおいしかったです。何といってもここはトルコの地中海沿岸で最も発展しているリゾート地アンカラヤです。シーフードでしょう。
 
さて遺跡、遺跡、これは前回のパムッカレから今回の目的地ハットゥシャの間にも、世界遺産ではありませんがいろいろな遺跡があります。これはアスペンドスの劇場跡です。
 
15,000人から20,000人の収容が可能だったといわれる小アジア最大級の古代劇場跡で、保存状態が完璧に近いと言われています。
 
ローマ時代のアクロポリスにあった闘技場あと。234m×34mの長方形で、収容人員が12,000人とか。
 
この闘技場は平地に建っていて、スタンドは裏から見ると
 
このようにアーチ状の石で出来ています。重機もないのにどうやって積んだのでしょう?
 
紀元前4世紀頃に歴史に登場したといわれるペルゲ遺跡、巨大です。
 
日本ではちょっと考えられませんが、観光客が平気で触れるような所に古代の遺物がころがっています。
 
ニンクアエウムと呼ばれる泉のあとです。続く水路も立派なものです。
 
ローマ時代の共同浴場の跡。ローマ時代の人はお風呂が好きだったのとお祈りの前に身を清める意味もあったとか。
 
さて、この鈎とナイフのあるカンバンは何屋さんのカンバンでしょうか?肉屋さんですって。
 
何しろトルコ中遺跡だらけ、その上、その一つ一つが巨大な為、発掘調査が追いつかないのだそうです。そんな訳で、ここまでのアスペンドスとか、ペルゲの遺跡はまだ世界遺産には登録されていません。
 
今までのは世界遺産ではありません。ボアズカレの世界遺産へ行く前にお昼です。チキンの串焼きです。こんな風に串にさした肉をアミにはさんで‥‥
 
うしろのマキカマドで焼いて……
 
ハイ、出来上りです。毎回同じような物が出ました。
 
ボアズカレとかハットゥシャとかヤズルカヤとか、聞きなれない言葉ばかり出てきます。これは書いて文字ですからまだましですが、現地人の日本語でベラベラ説明されるとまず解りません。この右側に写っている人が自己満足な説明をくり返していた現地人ガイドです。悪い人ではありませんでしたけど……
 
紀元前18世紀頃、ヒッタイト古王国の首都があったのがハットゥシャ遺跡です。ヤズルカヤはハットゥシャの聖地で、紀元前13世紀に岩場をそのまま利用して造られた露天神殿で、岩に刻まれたレリーフに祭儀の様子が描かれています。これはその当時の様子を想像して画いたカンバンです。
 
スフィンクス門。ここからは世界遺産です。
 
ライオンの門。
 
うら側(表面?)
 
王様の門。実は王様でなく、兵士の像だったそうです。現場にあるこれはレプリカで本物はアンカラのアナトリア文明博物館に展示されているそうです。
 
スフィンクス内の外側はこのような城壁があります。
 
城壁には70mもあるトンネルがあります。敵に攻められたら、ここから外へ出て、敵の背後にまわって攻めたとか?嘘だと思います。
 
まわりの山じゅうが、城壁です。
 
その巨大な城壁に囲まれた中に、ヒッタイト古王国の首都ハットゥシャがあった訳です。
 
食糧倉庫の跡。赤茶色に見える巨大なツボに穀物を入れ、そのツボを貯蔵したのだそうです。
 
さーそれではハットゥシャの聖地ヤズルカヤへ移動しましょう。とバスが動きだすと、たくさんの牛さん達が道案内に来てくれました。トルコの人達は誰もクラクションなどならしません。
 
入口に、こんなものが刻まれているからよく見てネと案内板があったのですが、……
 
何せ、中はこんなに広いのです。何がどこにあるのかよく分かりませんでした。
 
かろうじて見つけたのが、12人の黄泉の国の神々が行進するレリーフと
 
トゥタルヤ四世とシャルマ神のレリーフ。
 
あとから写真で見ても何だか分からないもの。
 
このプロジェクト135、パート2は世界遺産の旅を続けながら、世界の自転車事情をお伝えすることも目的の一つとしています。はじめにも書きましたが、トルコは本当に自転車の少い、あまり見かけない国でした。それでもいました。港町アンカラヤで見た自転車達です。
 誰も、キミキミとはいわないようです。
 
オトーさんはお買物でしょうか?
 
市電の線路は自転車専用道路のようでした。
 
ヒゲのオジさんはお孫さんの自転車で来たのでしょうか?
 
せっかくの地中海、アンカラヤで観光船に乗りました。
 
皆さん、ご存知トルコ国旗です。今回はここまでです。
 私は動きのない遺跡はどちらかと言えば苦手なのですが、今回のハットゥシャ:ヤズルカ遺跡はとても分かりやすく、私でも楽しかったです。史上初めて鉄器を使用して大帝国を築き上げたヒッタイト人。そのヒッタイトの王が紀元前18世紀頃、まず神殿と住居を造り、都市防衛の為に大城塞を築いた首都ハットゥシャ。皆さん、4,000年も前ですヨ。石の文化ってすごいですネ。4,000年も経ってから当時の物を見られるのですもの。次はカッパドキア。トルコといえばカッパドキアです。お楽しみに。