プロジェクト135パート2 第13回 白川郷・五箇山の合掌造り集落

 今回の「白川郷・五箇山の合掌造り集落」は1995年12月に世界遺産になった。白川郷は岐阜県白川村と五箇山は富山県平村、上平村にある合掌造り集落で、中部山岳地帯の急傾斜の山と谷に囲まれた、非常にアクセスしにくい地域にあり、1950年代まではこの地域外との交渉は極めて限られたもので、「日本に残された最後の秘境」と称されたそうです。

 合掌造り家屋は白川郷と五箇山地方に限定して見られる民家形態で、しかもその最も多く存在していた時期である19世紀末においても、総数約1,850棟という極めて少数にすぎず、これは当時の日本の農家の戸数550万戸に対して0.03%という希少な存在であったそうです。それが1994年8月現在では白川村荻町集落は戸数152戸、人口634人、五箇山の相倉集落は27戸、人口90人、五箇山の菅沼集落はわずか戸数8戸、人口40人で、かつて白川郷に23集落、五箇山に70集落あったなかで、この三集落だけが現存する合掌集落となってしまいました。同地域の経済は、紙漉き、火薬の原料の塩硝製造、養蚕だったそうですが、戦後の急速な経済構造の変化に追いつけず、1967年の白川村加須良(かずら) 集落の集団離村に代表される集落の消滅の結果、現在では三集落しかなくなってしまった訳です。

 私達が訪れた2月2日頃は旧正月でもあり、中国などからの外国人が集落の歴史などとは無関係に我がもの顔にのし歩き、静かに当時を偲ぶ風情はありませんでしたが、離村した桂集落の最後の三軒のビデオなど見ると、私達は何と有難い時代に生きていられるのかと素直に感謝の気持ちになりました。

 
■今回場所は
 

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今回のたね本は『合掌造り集落世界遺産記念事業実行委員会』発行の『白川郷・五箇山の合掌造り集落』(3,000円)です。
 
これが典型的な白川郷の合掌造り家屋で平入り形式と言うそうです。
 
これが五箇山の典型的な合掌造り家屋で妻入り形式と言うそうです。
 
合掌造り家屋の構造はこのようになっていて、一般的な日本の家屋に比べて平面も広く、高さも四層と高いうえに急傾斜の切妻屋根のものが多かったそうです。
 
当時の合掌造りが巨きな理由に大家族が住んでいたから、という説もあるそうですが、その他の理由として農業は自給自足が出来る程度で主な産業として紙漉、塩硝作り、養蚕があった事と関係しているそうです。
 
その重要な産業である塩硝は火薬の原料であり、その生産を秘匿し、管理する為に、この地方では家屋の床下の地面を深く掘り下げた穴の中で土壌分解を行って塩硝を作っていたので、床面積の広い家屋を必要とし、このことが規模が大きく、床部分の多い合掌造り家屋を生み出す主要な要因の一つになったと推測されています。
 
戦後の1970年頃まで続いた養蚕は、桑の集積や蚕飼育に屋内の広い空間を必要としたので、このことが小屋内の空間を多層とし、積極的に利用する合掌造りの成立を促し、その発展に大きく関わったと言えるそうです。
 
さっ、かたい話はこのくらいにしてこれが現在の白川郷です。とても良く撮れているでしょう?
 
それもそのはず、上の写真はプロの写真です。私達が撮れば、このくらい、何となく雰囲気がわかる程度ですね。
 
もう一つ、私の後ろのポスターの写真はプロが撮った、この日お昼を食べた川魚料理屋さんの写真です。
 
それが自分達で撮ると、こんなことになってしまいます。やはりプロは違いますよねー。
 
このお店は町中でなく展望台の方へ登らなければならないので、私達の他は一組の客だけ。これは岩魚のおさしみ。
 
おまごの小魚、唐揚げです。苦味が何とも言えず美味しかったです。
 
あまごの塩焼き。期待ほどではありませんでした。
 
虹鱒(にじます)のおさしみ。これは結構なお味でした。エッ、後ろの変な魚のような形のものは何だ?って?
 
そーなのです、おまちかね岩魚の骨酒でございます。今回の旅でいろいろ飲んだ中で一番の出来でございました。
 
このお店は、庭先の大小14の湧水を利用した生け簀でいわな、あまご、にじますを卵から育てているそうで雰囲気も良く、町中からはずれているので混んでもおらず、白川郷へいらっしゃったら、お勧めの店です。
 
では合掌造りを紹介しましょう。合掌造りの一階は大体こんな感じで囲炉裏のある部屋があります。
 
大きな家には客間もあります。
 
二階に上ると養蚕のあとがあります。
 
三階は今は何も置いてありませんでしたが、両方向に光や風を取り入れる窓があり、お蚕さんも、桑の葉も快適に過ごせたろうと想像できます。
 
天井はこんな具合に組合わさっており、この合掌造りが全体として優れたドイツの著名な建築家ブルーノ・タウトも「建築学上合理的であり、かつ論理的である。」と絶賛したそうです。この高い評価により世界中の人々からも注目を集めることとなったそうです。
 
これは違う天井です。基本的には同じ構造です。
 
こんな階段で上り下りしていたのですね。上でお酒なんか飲んだらどうなるんでしょう?
 
これは我家のと同じ電話機。すでに骨董品なのでしょうか?
 
塩硝を作る工程で汁を煮つめる為の鍋です。展示品は生活用品、塩硝を作る為の道具、養蚕の道具などが主でした。
 
さて、これは養蚕生糸を巻き取る為の道具です。名前はお酒を飲んだ我家のトーチャン。"くだまき"という名の道具です。
 
茅葺き屋根の合掌造り集落は、大変火に弱く、歩きタバコは厳禁、消火設備も万全を期しています。これは消火訓練の様子です。
 
集落内のいたる所に消火栓や放水銃があります。荻町集落では59基の消火栓を集落全体にくまなく配置し、これに見合う自然流下式の600トンの貯水槽を保存地区の高台に設けているそうです。
 
それでは白川郷でおいしかったものを紹介します。川魚は前の方で紹介しました。その他でいうと、これがあげもち、200円です。あまからくてとても美味しかったです。
 
初日に泊まった宿で朝食に出てきたあゆの一夜干し。ボリュームはありませんでしたが、上品な味でした。
 
ピントがボケてますが岩豆腐の朴葉焼き。この岩のように固い名物豆腐が毎食のように出ました。
 
宿の夕食に飛騨牛が出ました。どうやらどこの宿でも出るそうです。あと鮎の塩焼き。真冬に鮎、というのもどうかと思いますが、美味しかったです。
 
お昼を二回もごちそうになった食堂のオネーさんと。それは二人で一つで十分とか、二回目は顔なじみになってとても親切でした。
 
さー、お腹がいっぱいなので宿で温泉に入って、いよいよ期待のライトアップへ出発です。
 
期待していたのは、屋根が大きな綿帽子のようになった合掌造りをシンシンと寒い静かな環境で見ることだったのですが、まず、屋根に雪がほとんどありませんでした。
 
そのうえ、見てください!!この人、人、人です。この時はあまり寒くもなく、まるで浅草の仲見世を歩いているようでライトアップは期待外れでした。
この翌週から、大寒波で見事な景色になったそうです。ただただ、私達の行いが悪かったのかもしれません。
 
今回、私達は名古屋まで新幹線、そこから直通バスで白川郷へ行きました。名古屋は快晴、お城がきれいでした。
 
今回、白川郷は雪で、残念ながら自転車は1台も見ませんでした。これは名古屋で見た自転車です。どこかで見たことがあるような自転車でした。
 
途中の峠は大雪で、これは期待できると喜んだのですが、、、。
 
白川郷は雨でした。
 
白川郷バスターミナルは『せせらぎ公園』にあり、その中心で『であいの館』に白川郷観光協会の案内所があります。(05769-6-1013)
ここはとても親切で、各地からのバス時刻案内、予約、白川郷の見所案内、宿泊案内、予約など、なんでもやってくれます。事前に連絡すると各種資料も送ってくれます。どうぞご活用ください。(お礼に宣伝しましたよー)
 今回旅した『白川郷・五箇山の合掌造り集落』は詳しく記せば、岐阜県大野郡白川村萩町、富山県東礪波郡平村柏倉、上平村菅沼の三集落のことです。萩町のあたりを白川郷、相倉と菅沼を合わせて五箇山と呼んでいるようです。

 19世紀末には三地区合わせて100集落近くあった集落が、今ではわずか三集落になってしまった訳です。1967年に集団離村した白川村加須良もそうですが、隣の桂集落は、郵便物を受け取ったり、出すのに片道3時間歩いて行かなければならないような場所だったそうです。今では東海北陸自動車道の開通などもあり、名古屋へ3時間弱、金沢へ1時間15分程で行かれるようになりました。

 実際に合掌造りの家屋を子細に見せてもらうと、その素晴らしさは素人の私達でも実感でき、世界遺産として後世に残すべき価値のある建物だと理解できます。これが集落として、『組』や『結』の組織を維持できることがその建造物としての価値だけでない素晴らしさだと思います。桂集落のように、三軒のみになってしまうと、冬、建物は雪に押しつぶされていったそうです。

 交通の便もよくなり、今では年間120万人の人が訪れるとか。萩町(白川郷)など、ライトアップの日は宿が取れないほど賑わっています。世界に3つしかない合掌造り集落を良好に維持・保存するためには、内外の多くの人の理解と協力が必要、世界遺産に登録されて、その価値や内容が広く紹介されることは、喜ばしいことです。なぁ~んて、かたい話はともかく、何も知らなくても、とてもきれいですし、食べ物もおいしいし、皆さんも一度いらしてみてはいかがですか?