第71回 高遠城の回 ページメニュー | ||||||||||||||||||||||||||||||
【その一】 高遠城に登城しました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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ヤフーラボで高低差も チェーック!! | ||||||||||||||||||||||||||||||
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【その一】:高遠城に登城しました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
松本城から走って、高遠城目前の伊那谷までやってきました。 今夜は支援者宅に泊めていただきます。 |
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左と右の方々が我々の会社の大黒柱、ミコ夫妻。 高遠城に登城する我々の陣屋として、ご自宅をご提供いただきました。 見た目も心意気も完璧な足長おじさんです。 |
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素晴らしいディナーもご用意いただきました。 城攻めカウントダウンでは、支援者を大募集しております! |
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さて、今夜のスペシャルゲスト、郷土研究家のM氏。 浅学な我々のために高遠城について講義してくれるのです! |
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M氏が我々のために用意してくれたプレゼンテーション。 勢い余って、パワーポイントで作成してくださいました。 織田信長軍の信濃進行がどのように行われたか、一次資料で検証しようという内容です。 |
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大河ドラマにも絡めて説明してくださって、楽しい講義でした。 多勢の織田軍を前に寝返る城が続出する中、籠城戦を挑んだ高遠城の気骨が印象的でした。 |
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このM氏、城郭、歴史に留まらず、火の見櫓の研究もされています。 我々は地方でたまに見かける鉄塔、くらいの認識でしたが、形状など自由に建てられるため、意外にも個性のあるものがあり、M氏は各地を調査して類型を形成するに至っています。 審美的に観察もしており、ただただ脱帽いたしました。 |
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日本の海岸線だけを自転車で走る企画も単独で行われています。 我々同様、勤め人ゆえ、何回もに分けて旅をされています。 四国はコンプリートし、現在は九州に取りかかっているそうです。 旅先で火の見櫓に目を光らせていることは言うまでもありません。 ついでにいうとザザムシの研究もされており、本物の研究者から意見を求められるほどのようです。 |
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翌朝。伊那の方たちの優しさを胸にいよいよ高遠城に登城します! | ||||||||||||||||||||||||||||||
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難なく城に取り付きました。 今回は我々も5名という多勢だったためかもしれません。 |
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かつての追手門と呼ばれている楼門。ここにあった高校の校門として使われていました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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江戸時代に大規模な改修があったようで、現在の縄張りからは高遠城の戦いのあった頃の姿は分からなくなっているそうです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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桜雲橋を渡り、本丸へ。桜が咲いて雲に覆われるようになる、ということですね。 春まだ遠く、桜のほころびも望めない頃に来てしまいました。 |
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本丸の太鼓櫓。 この形状、歴史的な建造物には見えませんね。明治に建てなおされたようですが、その前もこの形をしていたのでしょうか。 |
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M氏が力説されていましたが、やはり桜のときに来るのが正解だったようです。 ピンク色の桜で空が見えなくなるほどだそうですよ! |
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昨晩のM氏の講義では、高遠城の戦いは、早朝に始まって、9時くらいには終了していただろうということ。なぜなら『信長公記』に同日、織田信忠はわりと先まで兵を進めていたからです。 我々もスタンプを捺して先を急ぎます。 |
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何と高遠城では博物館が閉まっている時間帯でも捺せるよう、百名城スタンプを外に設置してくださっています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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五郎山が後ろにそびえる橋。 高遠城の戦いで城将だった仁科五郎盛信が祀られている山とのこと。尾根伝いに一郎山から四朗山まであり、それぞれ奥さんや武将が祀られており、山全体がお墓となっていつまでもこの地に眠る。 |
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ありがとう高遠城。どちらかというと織田軍が来た方に逆流しますが、木曽福島を目指して走ります! | ||||||||||||||||||||||||||||||
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Special Thanks to ミコ夫妻 & M氏 お蔭さまで楽しい高遠城攻めになりました! |
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