第12回和歌山城の回 ページメニュー | ||||||||||||||||||||||||||||||||
【その一】海辺の宿 潮風荘 【その二】紀州東照宮 【その三】雑賀城探索 【その四】和歌山城 【その五】和歌山市駅 |
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宿から見下ろす和歌の浦。 自転車で探索する雑賀孫市のアジト。 ここにもあった東照宮。 城下町に見所満載の和歌山城を自転車を巡ります。 関西編最終。 |
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【その一】:海辺の宿 潮風荘 <コメント:阿部ちゃん> | ||||||||||||||||||||||||||||||||
今日は着かないんじゃないかと思われた宿に無事到着。 本日は和歌浦にございます、絶景の宿「潮風荘」様にお邪魔します。 |
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早速、頑張った自分たちをねぎらいます。 今日が一番ハード出した。 |
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旅館と言えば豪華なシーメー。 地酒越しのあべ。只今夢中です。 |
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翌朝は胃にやさしい朝食を食らい、また希望に満ちた今日が始まります。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
関西攻めも今日で最終日。 意気揚々と和歌山を駆け巡ります。 |
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【その二】:紀州東照宮 <コメント:阿部ちゃん> | ||||||||||||||||||||||||||||||||
まず向かったのが紀州東照宮。1621年、徳川家康の十男である紀州藩祖・徳川頼宣により創建されました。 川越の仙波東照宮に続いて今企画2ヶ所目の東照宮です。スピンオフで東照宮攻めカウントダウンを密かに企むあべ。 |
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奥にある長い参道を指し示すのぶさん。 もちろん入ります。 |
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目指すは108段あるという石段。 城攻めに登りはつきものです。 |
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と、その前にちょいと寄り道。 何やら興味深いお社を発見 |
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七福神唯一の女性、弁財天が祀られていたんですね。理由は謎ですが、弁財天の弁は智弁和歌山の弁です。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
昨日は千早ヒルクライム。今日は紀州登山。 一筋縄ではいかない旅でございます。荷物重! |
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難なく登り切ったメガネ二人。 朝摂ったエネルギーを全て使い切った顔ののぶさん。あべは軌跡を撮影中。 |
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もうお馴染みの光景ですね。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
そして紀州東照宮本殿が眼前に聳え立ちます。 色合いは本家の日光に近いものを感じます。 紅が鮮やかですな。 |
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せっかくなんで中に入りたいとあべが無茶を言い出したので、巫女さんに案内いただきました。残念ながら中の撮影はNGということで巫女さんと一緒に記念撮影。 日光の眠り猫でお馴染み、左甚五郎の獏がたくさんいました。ありがとうございました。 |
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東照宮と言えば徳川、徳川と言えば三つ葉葵ということで誇らしげに記念撮影。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
【その三】:金剛山道 <コメント:のぶ> | ||||||||||||||||||||||||||||||||
雑賀城跡を捜索中。 戦国の和歌山といえば言わずと知れた雑賀衆。織田も羽柴も撃退した最強鉄砲集団。その伝説のリーダー、雑賀孫市の拠点はどこだ?と。 宿の主人もいずこにあるか、分からない、と。 |
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ネットでは所在地が和歌浦中2丁目付近とも3丁目とも。 看板ぐらいあるだろうと思っていたが見当たらない。付近のローソンで地元の店主に訊いても分からない。 |
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かろうじて自転車だったので諦めずにすみました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
この地形で城を造るならこの丘しかない… 最終的には人は勘に頼るしかないと思う。 |
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このように打ち捨てられたる建造物も。 何やら冒険があった子供の頃の夏を思いださせます。 |
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中から見上げれば闇の先に光が。 かつて消防団の望楼だったらしいです。 櫓の進化形というべきか。 |
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丘の上に「妙見山」の石碑を発見。 別名、妙見山城とも呼ばれていた。 ここがあの雑賀衆の拠点に間違いない! |
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さてと、心おきなく和歌山城に攻め下ってやるか。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
【その四】:和歌山城 <コメント:のぶ> | ||||||||||||||||||||||||||||||||
海岸線から北上すること30分。 いよいよ、和歌山城め、見えてきた! |
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和歌山城の誇りの一つ、5代将軍吉宗を輩出したこと。紀伊徳川家は御三家ですからね。 阿部も血統にあやかってか、足の角度が馬と同じです。 |
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樹齢450年。 アメリカに空爆され部位を吹き飛ばされたものの樹勢を回復して今に至る。 日本の象徴だ。 |
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石垣の上の木を見ると必ず石垣の外に枝を伸ばそうとします。そこは土が硬いため根が下ではなく横に伸びるそうです。 すると枝も根と同じ方向に向かうようになる。 オビワン・ケノービのように岡さんが空にきらり。 |
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城内公園を自転車で動けるところはナイス。 暑いと歩きまわってるだけでもしんどいですからね。 |
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百名城スタンプは天守チケット売り場でゲット。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
丘の上の天守へ。 松山城で見たような櫓で囲まれた連立式の要塞です。 威圧感は松山の方があるか。 |
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しかし、淡い碧の彩りもスマートな見事な複合天守です。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
和歌山は紀州梅のように酸いも甘いもある所。和歌の浦は歌人に愛され、林にはおびただしい数の鉄砲が潜んでいた。 高野山も行きたかったし、まだまだ見所多そうで、また来たい。 |
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【その五】:和歌山市駅 <コメント:のぶ> | ||||||||||||||||||||||||||||||||
旅の終わりに たこ焼きを食いだおれなかった大阪。 みかんの皮を一度も剥くことの無かった和歌山。 でも、お腹いっぱい。 関西編 終 |
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<参考:関西編の旅費> ※食費は別。別腹。 |
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