プロジェクト135パート2 第106回 (ロシア)ウラジーミルとスーズダリ

 ユネスコの正式登録名は「ウラジーミルとスーズダリの白亜の聖堂建築群」という名称で1992年に登録されました。モスクワの北東約170㎞のところにあるウラジーミルとスーズダリは、そこから30㎞ほど離れた二つの町です。それぞれに中世の町がそのまま現代まで続いている風情のある田舎町でした。
 
■今回場所は
 

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いきなりですが、地元のジャムです。
 
地元のティーハウスでいただいたピロシキと紅茶です。ロシアンティーといってロシア人は紅茶にジャムを入れて飲むと聞いていたのですが、現地の人は紅茶にジャムを入れて飲むのは日本人だけだと言っていました。
 
なにしろロシア人は甘いものがお好きなようです。
 
黄金の間です。12世紀に建てられたウラジーミルのシンボルです。町を取り囲んでいた城壁の門の中で現存する唯一の門です。門の上は小さな教会です。
 
門の右側の道路を挟んだ反対側の緑の小高いのが城壁の名残の土塁です。
 
さて、これを読める人。遠くから見たウスペンスキー大聖堂です。ウスペンスキーとか、大聖堂とか書いてあるのでしょうか?
 
近くに寄るとこんな感じです。1158年に建設が始められ、14世紀初めまではロシアの大聖堂の最高位にあった歴史的な教会です。
 
間違いなく世界遺産です。この教会はその独自の様式からその後のロシアの教会建築の原型となったのだそうです。
 
こちらがドミトリエフスキー聖堂です。
 
大きさは驚くほどではありませんが、外壁の浮き彫りは印象的でした。
 
ウラジーミルでも自転車は大人しかったです。
 
復活を書くトルストイ、だったと思います。
 
ウラジーミル・モノマフ公が要塞を築いたことから、ここウラジーミルは始まったのだそうです。
 
違う角度から見たウスペンスキー大聖堂です。5つの黄金の丸屋根が威風堂々としていました。
 
そして私たちはバスでウラジーミルからスーズダリへ向かいます。この写真は隣を走っていた路線バスです。バスの中で何か読んでいて酔わないのですかネ?
 
人々はわりと信号を守っているように見えました。自転車も大人しく走っていました。
 
そしてウラジーミルからスーズダリへやって来ました。これはスパソ・エフフィミエフ修道院の外側の城壁です。まるで砦のようでした。ここは男子修道院です。左がカーメンカ川。
 
スパソ男子修道院からカーメンカ川を挟んだ向こうにある白い建物がポクロフスキー女子修道院です。
 
この男子修道院は実際に要塞の役割も果たしていて、城壁の内側にはたくさんの教会があります。もともと修道院はお城の役割があったのでしょう。
 
その一つ、スパソ・プレオブラジェンスキー大聖堂です。舌噛みそうです。第一言えません。
 
鐘楼です。毎日8回ベルコンサートが行われます。ちょうど時刻でとても印象的でした。
 
修道院の中は基本的に自給自足で、野菜や果実を作っていました。
 
これはその一つ、ナナカマドです。日本のに比べると大粒でナナカマド酒にするそうです。修道士はお酒を飲んでも良いのでしょうか?試しに1本買ってきました。まだ飲んでません。
 
この白い家はポサードの家といわれ、17世紀末に建てられた石造りの市民の住宅だそうで、木造から石造りに代わる時期のロシアにもほとんど残っていない貴重な家だそうです。
 
さて、男子修道院とカーメンカ川を挟んだ反対側にあるポクロフスキー女子修道院へやって来ました。こちらも基本的には壁の中です。
 
こちらも中は教会と自給自足です。
 
女子修道院側からみた男子修道院です。万が一戦に負けたときに逃げられるように、川の下に両修道院を結ぶトンネルがあったそうです。戦に負けた記録はありませんが、女子修道院での出産の記録はあるそうです。本当でしょうか?
 
ここスーズダリはロシアの中で一番中世の面影が残っている町だといわれているそうです。
 
家を建てるにも、たくさん規制があって、中世を残す努力をしているそうです。日本でいえば倉敷とか、会津若松みたいなものでしょうか?
 
スーズダリの自転車屋さん。
 
売っていた自転車。
 
飾ってあった自転車。
 
走っていた自転車。
 
停まっていた自転車などなど…。
 
ロシアの古い機関車です。モスクワへ帰るとき、ウラジーミルの駅に飾られていました。レーニンが乗った列車を引いたのだとか。
 
現代のロシアの鉄道の駅です。
 
これが現代のロシアの鉄道、シベリア鉄道の西の端、モスクワまであと200㎞ぐらいのところです。
 
これがモスクワの駅です。
 
これがモスクワ駅前の自転車です。
 
そしてこれがモスクワでの夕食です。ごちそうさまでした。
 6回にわたったロシアの旅、お付き合い下さいましてありがとうございました。今回は今までで一番疲れました。大きな理由に言葉の問題があります。それに自由時間の少なさもあります。寒さもあります。食べるものの問題もあります。そして何より、人々がフレンドリーでないことがあります。寒い場所の人々は一般的に無口ですが、その上ロシアのように大きな強い国の人々はロシア語以外話さなくとも生活が出来てしまうから、外国語、特に英語は敵国語とでも思っているのでしょうか?寒い国でも小さな国の人、北欧の人なんかほとんど英語を話しますヨネ。このロシアシリーズの前はポルトガルへ行ったのですが、食べ物は美味しい、自由時間が多い、人々はフレンドリー、暖かい、やはりロシアは疲れました。その上、帰ってきてこの135を書いていて、もー疲れた疲れた。どこもかしこも聖堂、イコン、フレスコ画、皆同じように見えて、どこがどこだか解らなくなって、旅行中に取ったメモ、地球の歩き方、日程表などを照らし合わせるだけで大変でした。こんなの初めてです。アー全部終わった。ヨカッター。スーズダリだけ行けば、もっと好印象だったでしょうネ。皆さんもお付き合い下さって本当に有難うございます。アッ、もう次も決まっています。アンコールワットへ行きます。付き合って下さいネ。