目次
Mt.富士ヒルクライム
富士ヒルクライムは同日に開催されていた那須に出るつもりだったが、大学の自転車競技部の同期が金曜日に結婚式を松本で上げるということで
急遽変更して参加(歴代優勝者は招待というメールが来ていたのもある)。
木曜日に我が家に泊まりに来たモッくんとニッシーと一緒に金曜朝一で千葉を出る。
朝一とは書いているが結局予定から一時間遅れたことに対して、イナーメタイムの発祥を見た気がした。
昼ご飯は返上して松本に到着したのは12時。
チームスプリントの一走で輝きを放っていた後輩の青木が、劇的ビフォーアフターで匠が120%の実力を発揮したレベルで太っていて、本気で「だれ!?」と言ってしまった。
赤澤の結婚式はJRの車掌らしい演出(テーブルごとの写真撮影。テーブル番号は駅名。あとは察して)があり、大学四年間共に汗を流した仲間が環境を変えて頑張っている姿に刺激もらった。
エンドロールで僕の名前の下に「お前いつまで現役なんだ」と書かれていたが、周りに最強のおっさん達がいすぎて、そんなこと考えたことなかった。
久々に同期で集まったこともあり、かなりビールを飲んだ。普段ビールなんて美味しく感じないが、やはり”誰と呑むか”が大事なのだと思った。
土曜の朝に車で帰郷。受付がてらパレードに参加する。10周年のパレードにも参加していて、実はその時いた日体大のスケート部の選手の中に高木美保選手がいたみたい。
今回はかつてツールドフランスを総合優勝したことのあるデルガド選手がゲストとして出ていて、先頭で一緒に写真に納まりました。
パレード中「GANBATTE」が何か気になってたっぽいのでベンガベンガ言ったら喜んでた。まぁ正確なのは通訳に聞いたでしょう。
会場にゴールしたが放置され、流れ解散だということで驚く。前回の10周年のパレードは「おかえりなさい!」みたいなアナウンスで戻ってきたのに…。
シクロワイヤードさんやハシケンさんのお声掛けにより、最後に集合写真となったけど、交通規制のされていない道路のパレードなので信号に引っ掛かる人もいて、全員は集まらなかった。
レース当日は3時間前にご飯を食うのは朝早すぎるので諦めて、2時間前にがっつり食う(これもいけなかった)
レースの方はというと、序盤は非常に遅いペースでいき、このまま行ってほしいという願い空しく、一昨年に千切れた場所と同じところ(ちょうど二合目)で千切れる。
頭の中の言い訳が渋滞していて、自分に嫌気がさし、踏むペダルにも力が入らない。
千切れてから追いつかれる集団に何個かパスされ、最後田崎さんのグループに追いつかれたところで平坦に入ったので息を吹き返す。
最後は田崎さんともがいてゴール。記録は1時間3分とかで2015年に出した59分は遠く及ばない。
優勝タイムは57分と聞いて、いよいよ片手間では勝てない世界になってきたと痛感する。
「Mt富士はロードレースに似ている」と言えるのは、ヒルクライマーだけとなった感は、ある。
全日本選手権ロード タイムトライアル
次の週も今度は高校の同級生の結婚式で山梨はフルーツ公園のフジヤホテル。
石川県へ車で移動する必要があったので、呑まずに参加。
乗鞍を超えて宿に着いたのは21時。
次の日は朝一で試走に行き、コースを確認。公道を使ったコースでアップダウンがあるがブレーキをほとんど使わない二車線。走りごたえある。
スタート順は第二ヒートのブリジストンアンカー勢に挟まれた形。
前を走る英也から前日に「抜かないでね」的なメッセンジャーが飛んできたが、「無茶言うな」と返す。
後ろを走るのは近谷で、スタート前に「長距離TTどうやって走るんですかね?」と聞いてきていたのに、結果的に2位とは…。
機材もぶっつけ本番だったって言うし、意外とそういう姿勢の方がいい結果を生むことがある。
ただ、それは最初の一回だけであるというのは最近学んだことで、その「プレッシャーの無い」姿勢というのは二度とできない。
自分はスタート前に後輪とフレームのクリアランスがないと審判に指摘を受け、スタート前にバタバタしてしまった。
会場でスローパンクしていたので自分でタイヤを交換したのだが、手持ちは25Cしかなく、それに交換。
後輪とフレームのクリアランスはクレジットカードが入る分の隙間が空いていないといけないルールを知らずそのままスタートに行ってしまった。
スタート15分前だったのもあって慌てていて、フレームと軸の間に何かを挟む。という考えしかわかず、ちぎった紙を挟んで何とかその場では直した。
が、スタートして一歩目で後輪がずれてストップ。1分はかからなかったけど直して再出走。
それ以降はおそらく擦ってはいなかったけど、精神的に擦ってるんじゃないかと疑って、ものの半周で近谷に抜かされる。
すでにタイムも失っているし、とりあえず出し切ろうと頭を切り替えると意外にペースがつかめてきた。
三周のうち一周目は絶望的に遅いとして二周目三周目は徐々に上げれて最後は出し切れた。
メカトラは自分が招いたことなので反省するとして、そのあと出し切れたからまだ心が救われた。
ただ、残念ながら来年の全日本の出場権をぎりぎりのラインで逃したので、収穫なし。
ということで帰りはビーチラインを走って思い出作り。サポートしてくれた妻に感謝感謝です。
全日本選手権ロードレース
すき家の大盛りは店によっては普通盛りと大して変わらないことがあり、憤りを感じる次第です。
金曜日の午前中のみ仕事をしてバスで羽田空港へ。萩岩見空港に到着したのは17時を少し過ぎたころ。
女子のレースが金曜日だったので飛行機に乗る人もまばら。
レンタカーを借りてレース会場へ。すでに暗くなっていたので車で一周回ってみる。
前評判では登りがそこまできつくなく、那須に近いなんて言われていたけどとんでもねぇ。
補給所の登りは絶妙に僕がもたなそうな距離だし、その後下ってもすぐに平坦で地味にきつそう。
牧場の登りは短いながらも下りの勢いでは登り切れない。その後やっと下り基調の平坦で休めるけど、ここも距離を重ねるほどにきつくなるんだろうな、という予想。
しかしゴール前は直線が400m近くあり、見ていて面白いであろうという、さすが浅田さんが監修したコースである。
一周回って宿へ。レースの開催地が決まってから宿を探したら、安いところは津和野しか空いていなかったのでビジネスホテル津和野に宿泊。
実は益田市内は「自転車関係です」という一言で手のひら返しで予約が取れたみたい。そんなん言っといてよぉ~(流行り)。
宿について風呂を溜めて一人で入る。ちょうどブラジル戦が始まってしまったのでしっかり観戦。
ファインディングドリーを家で見ていた嫁から「ドリー忘れすぎやわ」とLINEがきて「君もたいがいだよ」と送ってから就寝。
次の日は素泊まりだったので朝ごはんを食べに行こうと思ったけど、どこも開いておらず。結局コンビニのパスタを部屋でモグモグ。
お昼の交通規制が解除されるタイミングで試走がしたかったので間に合うように向かう。
ついでに智也や鈴、樹がでるU23のレースを応援する。コースのわりにサバイバルレースとなり、翌日に最悪のイメージを焼き付けてくれた。距離が長いから大丈…夫…きっと。
片付けてから移動し、ライセンスコントロールへ。ちょうど並んでいた大東さんにイナーメ戦士4人分をお願いしたら、だいぶめんどくさい感じだったみたい。ありがとうございました。
車で津和野に戻る。道の駅に温泉(ラドンは認めない)と食事もできるようなので、宿によってタオルを確保してから移動。
久々に一人なのでサウナ満喫するぞと遠赤外線サウナ12分→水風呂(心拍100回)×3回みっちりこなす。
風呂から出たらスラムダンクが並んでいたのでラスト2巻のめっちゃいいところを蛍の光で急かされながらも読む。なお私の涙ポイントは坊主のメガネの部員が「湘北に入ってよかった…」と泣きながら絞り出すところです。
宿に戻ってイナーメオイルを塗りながらベルギー戦の前半だけ見て(前半でお腹いっぱいでした)、就寝。
次の日は5時に起きて益田のすき家へ。ここ最近の僕はレース開始三時間前に朝食を食べるようにしており、この日も6時前にすき家に入って恒例のたまかけサバ朝食大盛り納豆付きをオーダー(ちゃんと大盛りだった)。
その後レース会場に移動しもろもろ準備。
そうそう自転車に関してはライトウェイ様から今年のサポートフレームでありますFR FRDを供給していただき、サイクルフリーダムで急ピッチで組んでもらったニューバイク。
土曜日の試走でしか乗っていなかったけどARは縦に踏まないと進まないが、FRは横にバイク振ることによって進む、ダンシング思考のバイクかな。
ホイールベースが近くなったので(AR比)ハンドルがクイックと簡単にインプレ。詳しくはまた後日書きます。
固形物は羊羹二本とポールさんにもらった謎のミュールバー一本。ジェルはATHLETUNEと参加賞のアミノバイタル。
沖縄と違って補給があるのでそこまで持っていく必要は無し。ボトルにはWINZONEのジェルを溶かし、二本刺していく。
並び始めたころを見計らってスタートラインへ。マスドスタートなので一周目からペースが上がる可能性があるのでね。(あと唯一シクロワイアードとかにゴニョゴニョ…)
スタートは二列目に並べた。号砲とともに飛び出すプロツアー選手、終わらないアタック合戦…とか想像していたら登りがめっちゃ遅い。
トヨカツさんが「今こそ輝くとき!」と言わんばかりに先頭で牽いていたが(おそらくほとんど力を使っていなかったと思うが)、とにかく遅い。
「トヨカツさん速すぎです」と茶々を入れながら登りきる。その後の平坦と下りでやっとアタックがかかる。
正直長距離の練習をこなしていないし、登りが意外に長く、生き残れないことはなんとなく予想していたので、だとしたら逃げてやろうと思っていた。
でも人間やっぱり一人は嫌なので何人か大きい集団になったら行こうと決めてた。
牧場の急勾配区間の前に何十人か抜け出していたが集団の中にいたので他力本願で追わず。
牧場過ぎた登りきりで佐野さんがアタックしたので、「これは岩手のパターン!」と感じて飛びつく。
下りに入って二車線に出るとトヨカツさんと井上さんと高岡さん、佐野さん、アベタカさんの5人になる。
前の集団は大きく、目に見えるのでこれは飛び出したの無駄足か?と思ったがとりあえずローテを回して追いつく。
集団は30人と非常に多く、乗っていないチームはいないくらいなので、S/Gに着くころには1分以上開いていて「これは逃げ切るかもしれない」と希望を見出す。
少なくとも後ろの集団でもやもやするよりも良いと、ローテには積極的に入る。ただ、長くは牽かない。
チームメイトはヤッシーさんが乗っていて、一緒にローテに入る。登りが遅いが、後ろとの差は開くばかり。
逃げ切りを確信するが、問題は自分がどこまで粘れるのか。ローテに入ってはいるが、32人もいればローテを飛ばす選手がいる。
これはチームメイトが前で回っているとか、理由はどんなことでもいいのだが、脚を残したい選手なのである。
ローテをしない選手がいると綺麗に回らなくて中切れのようになり、これを誰が埋めるのか牽制になったりしてメンドクサイ。
登りはゆっくり一定なのでいいが、下りがペースの上下があってシンドイ。加えて暑さがジリジリと皮膚を焼く。
とりあえずJSPORTSが始まる13時までは生き残ろうと固く誓っていたが、13時ちょっと前に残り五周になる。
嫌な予感が的中し登りでペースが上がる。為すすべなく千切れる私。登りきった集団は遥か彼方。
時計を見ると13時。「JSPORTをご覧のみなさんコンニチワ!」とサッシャさんの声が聞こえた気がしたが、そこに私はいません。
一度切れた集中力が戻ることは無く、後ろの集団につくことが一切できずに二周走って残り3周で脚きり。
勝ち逃げに乗れたので精神衛生上は良かった。千切れたけど、練習量を考えれば当然。
今回は妻を千葉に置いての遠征だったが、想像以上につまんなかったので最早一人旅を楽しめる余裕はないのだなと痛感した全日本ロードでした。
JBCF 西日本ロードクラシック 広島大会/広島クリテリウム
全日本から帰ってきて具合が今一つだったがエントリーしてしまっているのと、実家に結婚のご挨拶に行っていないため、
金曜日に広島空港へ飛ぶ。そのままレンタカーで倉敷へ。
従姉と従姉baby(一歳)と土砂降りの美観地区を観光後、倉敷のイオンで遊ぶ。
まだ立てないbabyを大量のボールがあるところに投げて、ちょっと離れたところから呼ぶ。
頑張ってこっちに来たら抱いてあげて、また投げる。繰り返し。子育ては大変だ。
次の日は朝から内臓の調子が悪い。広島に一応行くが雨がひどくて萎える。
広島二連戦の結果によっては大分のUCIレースに出場できるかどうかが決まるので、何とかVENTOSに勝ちたいが僕自身は調子が良くない。
とりあえず落車回避で早めに並ぶ。今回のレースは100kmちょいだがAAAAと最高ランクのグレードで、しかも雨。
最初からハイペースでサバイバルになるに決まっている。後ろにいたら終わる。
スタートしてペダルキャッチに失敗。せっかく並んだのに無意味。
それでも外側から前に上がっていくが、先頭に出ることは叶わず。
土砂降りの雨でコースは川になっており、下りは怖すぎる。
登りで少し無理をして小山とトヨカツさんがいる位置まで上がる。
そのまま下って三段坂へ。ここでもペースは緩まない。死にそうになりながらも何とか食らいつく。
この時点で次の周回もこのペースで行くなら無理だと悟る。
すでに集団はかなり人数を減らしており、イナーメはトヨカツさんと小山と自分の三人。
S/Gを抜けて下りに入る。相変わらずペースは速く、先頭で落車があったみたい。それを見てより怖くなる。
車間を切って走っていたら三段坂の前で離れてしまい、それを埋めたら足がいっぱいになった。
当然登りに入ってペースが変わらなかったので千切れる。後ろから何人かチームメイトが来るが内臓が痛くて自分は全く踏めない。
少なくとも3人完走はできそうなのでS/Gで降りる。二周でレースが終わった。
だらだら見ていてもしょうがないのですぐに着替えて、チームに謝罪をお願いして倉敷へ帰る。
夜は親戚の集まりで焼き肉+ビール。内臓がやられていたので当然胃がねじ切れそうな痛み。
我慢して何とか挨拶回りは終了。帰ってからは少し落ち着いたのでとりあえず寝て治す。
次の日はステージに出る時間が決まっていたが、時間設定を誤ってギリギリ間に合わず。
内臓は昨日よりは良いが違和感はある感じ。暑さが厳しく、水分補給だけしっかり行っていった。
小山を何とか上位に食い込ませられればVENTOSに勝てるということで、「あんまりアシスト期待するな」と小山に伝えたら「今シーズン一番の期待してます」と謎の返答。
「あほか」と思うけど何か頑張ろうと思えた。
レースがスタートして集団のペースは割と速い。逃げができるまでは我慢。
二周目に入ってすぐに前方で落車。「あ、トヨカツさん転んでんなー」と悠長なこと考えてブレーキかけるも間に合わず、また左手から落ちてしまう。
ちょうど左手人差し指が誰かのチェーンリングに当たったのか血が止まらない。
体中ズタズタのトヨカツさんがコース外に出ようとするので「え、俺降りたら今走ってるメンバー、一人も千切られないじゃん」と考える。小山とユキは大丈夫だが田渕が心配。
STIが曲がっていたのを戻し、変速を確認してみる。
リアのディレイラーが動かない・・・。終わった…と天を仰ぐ。歩道に一歩上がった時にスプリンタースイッチの存在を思い出す。
そっちは動いてくれたので復帰できる!と変速を走りだせるように調整。反対車線から復帰させてくれるということで実質一周半ニュートラルを使えた。
血が止まらなかったが、観客の方がボトルから水を飛ばして洗い流してくれた。感謝。
復帰してから、一度「復帰したぞ」という意味合いを込めて小山の視界に入るように前に出る。
血が割と出ているのと暑さでボーっとするが、トヨカツさんにもらったボトルにたっぷり水が入っていたのでなんとか集団について行った。
VENTOSは二人しかいなくて、うちは田渕が千切れていて三人なのでとりあえず完走すればポイント上回れると思っていた(実際は3ポイント差で負けた)。
なので完走できればいいと思ってしまい、小山に対してアシストできずそのまま完走。
宇都宮で痛めた手首は亜脱臼らしかったのだけど、今回の落車で悪化した。二週間かけて左手の怪我はふさがり、左ひざの怪我も小さくなった。
ただ、なんかこう、ここ最近はMt富士からずるずると負のオーラが付きまとっている感じがしたので、一週間あけてリセット。
壊れたSTIレバーもポエマーな高さんからレンタルし、交換。
JBCF 石川サイクルロードレース
心機一転、猛暑に見舞われた石川ロードに参加。レースの方はブリッツェン様の見事なペーシングのおかげで完走のみ。
ペースアップがどのタイミングで開始されるかヒヤヒヤしながら走りつづけ、集団の中にいても余裕がなく、後ろの方でハンドルにしがみつく。
集団の前方に位置する小山のそばにいられれば良かったが、それもできず。残り一周に入るペースアップで轟沈。
前の方で諦めてペースを落としていた小山を回収し、二人で登る。最終周回の下りでジャージのチャックを締め直していたら小山他二人とはぐれる。
残りは一人で走ってフラフラになりながらも最後から二人目で完走。
暑さに強いつもりでいたけど、暑さを避けて朝か夜しか練習しないと慣れない。
今年はレースの数を減らしているので外の練習を取る時間が増えているとはいえ、暑さに託けて嫌がっていた部分はある。
7/28-30
西日本トラックは台風の影響で中止に。妻の実家帰省ついでなので大阪組に練習で揉んでもらう。
土曜日に夜行バスで大阪入りして、駅で着替えて荷物をロッカーにぶち込み、そのまま遅刻気味で集合場所へ。
早速関西の名所である暗峠にアタック!無事に死亡。あんな道をよく作ったなと思う。
「急勾配の登りがきたら次はきっと斜度が緩くなるよ」と売れないJ-POPの歌詞みたいな先入観でいたら、延々続く。
途中で蛇行しながら登ったけど、道が狭くて脇の泥に前輪とられて落車。
スピード的にもはや立ちごけ。やっと頂上にたどり着いたら同じところを下って最大斜度のところで写真を撮ろうというおじさんたち。
登りよりも下りのほうが怖かった。途中途中休憩入れたけどリムの熱さは収まらなかった。
最大勾配のところであーでもないこーでもないと写真を撮る。インスタグラマーの性である。
無事に下ってきて、さらに南下。兼松さんのホームコースであるグリーンロードでさらに追い込む。戻ってきてぶどう坂の麓で解散。
帰りに実はその日が結婚記念日だった豊田家にて、ヨッメさんが余らしていたSTIを強奪。
その後アベノバまで案内してくれた豊勝氏と別れてから、念願のRAPHA大阪。軽く飯食っておシャンティにツールを見る。。
中3の時の一人旅で、大阪城の下の公園ベンチで寝た思い出が懐かしく、ついつい寄り道してしまった大阪城。
14年経ってもいまだに健在で(おそらく)特定はできないけど、ベンチはあった。
次の日西日本トラックは無いが、天気は良さそうだったので、妻は車で自分は自走で、箕面山を越えて美山のPANDOZO CAFEへ。
初めて美山ロードに出場した時に寄ったのだが、ここ二年は行けていなかったので、妻を連れて行きたかったのである。
昼食食べた後は北上し天橋立へ。股覗きで見る景色は確かに絶景だった。帰りはもちろん車。
次の日は有休をとっていたので、ぶどう坂で行われる朝練、通称「ヤマカツ練」に参加。
同じところを何本も登るというのは独りだと絶対やりたくないけど、仲間がいると頑張れる。
絶妙に都会にも近くてライダーも多い。うらやましい環境だと思った。関西の皆さんありがとうございました。
冬から春にかけては関西に出没することが多くなるのでよろしくです。
JBCF 東日本トラック
翌週は東日本トラックにて美鈴湖バンクへ。エントリー種目は土曜日PRの日曜日TP & SC。
まずはPRだったが序盤から平塚さんが攻撃し、自分は後半にかけてポイントを取れた。最後のスプリントも1着で倍ポイントだったが6P及ばず2位。
煌々と照りつける太陽に焼かれて喉はカラカラでしんどくて、水分含有量が低くなっていたことを反省。
夜は人生初の松本ボンボンに参加。要するに合法的に踊って騒げる祭りということで、別に人生で一回でいいかな、と思った。
次の日のTPは皿屋→北沢→中村→岩佐の四人。サラヤさんが「時代は重いギアだ」と言うので52-13でぶっつけ本番。
しかし何とイナーメ記録に肉薄する4分32秒715!時代は重いギアだ!!後ろについた時の休めっぷりが全然違う。
最後はスクラッチ。残り二周のVENTOSシュンキのアタックにうまいこと乗った平塚さん。
自分はそれを追いかける黒ジャージの選手の後ろで残り一周まで待つ。
残り一周の鐘を聞いて捲ってスパートし、ちょうど半周で腰を上げた平塚さんのスリップにうまいことハマり、最後は下島の追い上げをかわして優勝。
久々のトラックレースはいいイメージを持って終われた。
中村 龍太郎(なかむら りゅうたろう)
チーム:イナーメ信濃山形
2015年全日本選手権個人タイムトライアルチャンピオン。一般企業に勤めるフルタイムワーカーでありながら、Jプロツアーを走り1桁台の順位を量産。トラックレースにも参戦し、全日本オムニアムでは3位。毎週末のようにレースに参戦し、レース数はプロをも上回る。
主な成績
・2015年 全日本選手権 男子個人タイムトライアル優勝
・2015年 Mt.富士ヒルクライム優勝
・2016年 全日本選手権オムニアム3位
・2017年 JBCF Jプロツアー 前橋クリテリウム2位
使用機材
ロードバイク:Felt FR FRD
TTバイク:Felt DA1
トラックバイク:Felt Tk FRD
ヘルメット:BBB ティトノス
ブログ
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