プロジェクト135パート2 第99回 (ポルトガル)ジェロニモス修道院

 世界遺産としての正式の名称は「リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔」です。ちょっとくどくなりますが、今回がポルトガルの最終回なので、その歴史に触れてみましょう。中世、世界で最も栄えていたのは地中海沿岸部と中東の国々といわれています。ポルトガルは地中海貿易に参入できず、大西洋に目を転じ、未知の大海原へと出航したのです。1414年、エンリケ航海王子がアフリカのイスラム教徒を攻略、1498年ヴァスコ・ダ・ガマがインドに上陸、1500年にカブラルがブラジルに漂着など、アフリカ、アジア、南米からもたらされる金、香辛料、砂糖、奴隷などによって莫大な富を得て、ヨーロッパ随一の繁栄を勝ち取ったのです。このポルトガルの黄金期に王位に就いたのがマヌエル一世(在位1495~1521年)で、その富を背景に着工したのがジェロニモス修道院とベレンの塔なのです。ジェロニモス修道院は1502年に着工、王の在位中には完成せず、19世紀までかかったそうです。ベレンの塔は1515~1521年で建造されたのだそうです。
 
■今回場所は
 

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サー、大航海時代の幕開けです。これは「発見のモニュメント」です。先頭がエンリケ航海王子です。
 
このモニュメントはエンリケ航海王子の500回忌を記念して1960年に造られたものだそうです。全体は帆船をモチーフにしたもので、高さ52mと巨大なものです。
 
航海王子の後ろには、ヴァスコ・ダ・ガマやカブラルなど各地を発見した航海者が続いています。
 
ポルトガルの繁栄の時代、大航海時代を築いた英雄たちです。これは世界遺産ではないそうです。
 
発見のモニュメントの近くに大理石のモザイクで世界地図と各地の発見の年が記されています。日本は1541年となっていました。これはポルトガル船が豊後に漂着した年だそうです。
 
2017年6月スカンジナビアのあたりで発見された絶滅危惧種です。
 
世界地図のモザイクから見た発見のモニュメントです。その大きさがお解りいただけると思います。自転車がよく似合いますネー。
 
この人は自転車で大航海へ出発するのでしょうか?
 
発見のモニュメントも大きくて、遠くからでないと全景が入りませんが、ジェロニモス修道院も大きいのです。ずーっと向こうの大きな建物がジェロニモス修道院です。
 
そしてこれが近くから見たジェロニモス修道院です。近いといっても、人の大きさからみてその巨大さは伝わると思います。
 
これが南門です。エンリケ航海王子の偉業や、ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路開拓を記念して、マヌエル一世が着工、マヌエル様式の建物といわれています。
 
門の正面上部には聖母マリア像。
 
この門の彫刻は、フランス人建築家ボイタックの作で、楯型の壁には聖ジェロニモスの生涯が描かれているのだそうですが、この写真では解りませんね。
 
これは、ヴァスコ・ダ・ガマの偉業を一大叙事詩としてうたいあげたルイス・デ・カモインの棺です。
 
かなりの大きさでした。
 
天井に花が咲いているように見えるのは、いくつものリブが天井を支えているのです。
 
太い柱もありますが、細い柱が何本もあり、何か林の中のような感じでした。
 
壁の彫刻も何か植物のようでした。
 
これがヴァスコ・ダ・ガマの棺です。
 
偉業をうたいあげた詩人と同じ大きさの棺でした。
 
これ、どう見ても植物を模しているように見えるのですが、航海と植物はどう結びつくのでしょう?
 
これが修道院の中庭です。四方に回廊があります。
 
この回廊が素晴らしかったです。
 
たくさんの細い柱に支えられ、その柱の彫刻も素晴らしく、マヌエル様式の最高傑作といわれているそうです。
 
私たちのような、無知な、予備知識のない者にも印象的な建物でした。
 
この修道院、特に回廊のあたりは、もっと時間を使って見ていたい所でした。彫刻だけでもすごかったですヨー。
 
でも仕方ないですネ。まだまだ先があります。これは修道院の外側、このあたりは居住区だそうです。
 
振り返ると遠くに発見のモニュメントが見えます。何しろ大きいのです。
 
で、これから行くベレンの塔も遠くから見るとこんな具合です。近づくと全体はよくわからないのです。
 
遠いから自転車で行っちゃいましょうか?
 
それとも飛行機にしますか?これでブラジルまで飛んだとか。
 
結局歩いてトボトボとたどり着きましたベレンの塔です。
 
ベレンの塔は、テージョ川の船の出入りを監視する為に16世紀初め、マヌエル一世が建てさせたのだそうです。小さなお城ですネ。アッ、ベレンというのはこの地域の名前だそうです。
 
テージョ川に浮かぶ貴婦人ともいわれているそうですが、何しろ朝から歩き詰めで、日本から来た太婦人としては疲れてしまったのです。早くビール!
 
ダメ!その前に自転車!テージョ川沿いの自転車、気持ちよさそうですネー。
 
この人たち、皆で一家族かしら?
 
あ、そーそー忘れてました、ビールの前に国立アズレージョ博物館へ行ったのです。
 
今回、主にポルトガルで、教会、駅、学校などあらゆるところで必ずと言って良いほど見て来たアズレージョ(タイル絵)の世界最大のコレクションがこの博物館に集められているそうです。
 
これがタイルで出来ているのです。
 
アズレージョはもともとイスラム教徒によってスペインに渡り、そしてポルトガルに伝わったのだそうです。
 
この博物館はスゴイ!!リスボンへ行ったら是非寄ってみて下さいネ。まだまだいーっぱいありました。
 
でも、もう限界です。歩行者天国で食べ物屋さんを見つけなきゃ!
 
ありました。ポルトガルは海産物がおいしいのです。これはアズレージョではありません、本物の魚です。食べられます。
 
どれもおいしそうで、迷ってしまいました。
 
ガラスの中ですが、カニですヨー。
 
エビですヨー。というわけで、ようやく今夜の食事を見つけました。エッ?何を食べたか?ヘッヘッヘッ、ナイショです。
 第94回のポルトから今回のリスボンまで、ポルトガルを主に見て来ましたが、私にとってとても印象的な、親しみの持てる国でした。人々があまり大きくなく、北欧やドイツ、オランダなどのような威圧感がありません。食べ物も海産物が多く、全く違和感がありませんでした。種子島に始まり、古くから日本との交流があり、コンペイトウやカステラなどポルトガルから伝来したものも多く、親しみを感じられました。航海王子エンリケに始まる大航海時代の世界に雄飛したポルトガル、教会、駅、学校、民家など、どこでも見られる絵タイル、アズレージョ。よく考えてみれば、前に行ったことのあるマラッカでもアラブ商人の次に来たのがポルトガルとか、南米でもスペインと共にヨーロッパといえばポルトガルとか。日本にはキリスト教の伝道に来ていて、軍隊が来たわけではありませんが、もし本気で黄金の国、ジパングと信じて、南米のように攻められたら、弓矢と刀の日本人は今頃ポルトガルで奴隷になっていたかもしれませんネ。今回の旅ではここを含めて六ヶ所の世界遺産を見て来ましたが、もし2ヶ所だけ選べと言われたらリスボンとサンティアゴ・デ・コンポステーラですネ。シントラも良かったのですが、リスボンへ来ればシントラはリスボンのうちみたいなものです。リスボンはさすがに歴史も古く、見るべき場所もたくさんありお勧めです。食べ物もおいしかったですヨー。なんと、もう99回になってしまいました。100回記念にカムチャッカへ行こうと申し込んでいたのに不催行になってしまいました。100回目をどこにするか思案中です。まだ続きます。お付き合いください。