プロジェクト135パート2 第84回 (イタリア)アマルフィ海岸

 前回83回のストラスブールまでは、76回のブタペストから始まってヨーロッパ中央部をドナウ川、マイン川、ライン川とたどった船旅でした。今回のアマルフィからしばらくは南へ下ってイタリア南部を旅します。お付き合いください。イタリアというとローマとかミラノなど北部へは行ったことがあり、なんとなく身近に感じていたのですが、南部はほとんど知りませんし、行ったこともありませんでした。知らなかっただけで、ここアマルフィは複雑な地形に囲まれた海洋に面していて、外敵の侵入を撃退するのに適しており、貿易の拠点として発展し、一時はピサやヴェネツィア、ジェノヴァと地中海の覇権を争ったそうです。今は狭い土地を有効活用したアーチ型の家が上へ上へと断崖にへばりつくように密集し、階段でできた通路の入り組んだ独特の町が、多くの観光客を呼んでいます。アマルフィはナポリの西、地中海に面しておよそ40kmの海岸線にポジターノ、サレルノ、リモーニなどの町々が連なるなんとも美しく、不思議な眺めでした。
 
■今回場所は
 

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これがアマルフィ海岸の宝石といわれるポジターノの町を展望台から見下ろしたところです。なんとかの真珠とか、どこそこの宝石とかいわれているところはいろいろありますが、ここは納得できました。
海岸線に沿ってこのような町が次々と現れ、40km以上続くのです。
 
大昔からある漁師さんの家です。もともと、このような集落が点々とあったのが、次第に町になったのだそうです。
 
町と町の間はこのようなアーチで支えられた道路がクネクネと続いています。
 
次の町が出てきてはまた次の町が出てきます。
 
これが、私たちが泊まったホテル「ルナコンベント」です。13世紀の修道院だった建物をホテルにしているのだとか。
 
ホテルにはスペイン風の中庭があり、その昔は井戸だったと思われるものがありました。今はなぜか大きな金魚が泳いでいました。
 
ホテルの窓から見えた自転車です。自動車、バイク、自転車がゴチャゴチャで走りにくそうでした。
 
次の町は、だいぶ海の近くまで家が建っていました。
 
イタリアーノのオジサンが気持ちよさそうに自転車に乗っていました。イタリアの町に自転車は良く似合います。
 
小さな町の小さな港、澄んだ海に小さなボートが浮かんでいました。
 
また次の町が出てきました。
 
この町はちょっと大きめで、山の上まで家が建っています。
 
どこの町にも必ず教会がありました。
 
これも教会だと思います。たぶん。
 
ところどころに海に突き出したところに、昔の見張り台のようなものが出てきます。
 
それにしても、なぜこんなに急な、岩だらけの場所に、こんなにたくさんの家を建てたのでしょうか?昔の漁師町が大きくなったとか、景色が良くて人が集まったとかいわれても、納得できる規模ではありませんでした。
 
さて本日の昼食は、まず海の幸のパスタです。私、パスタはスパゲッティの方が好きなのです。
 
メインはカジキとイカの照り焼きです。ウーン。
 
そして、なぜかサラダが最後に出てきました。イタリアンはこんな順番なのでしょうか?
 
そしてデザートは、アイスクリームとシュークリームの中間のような感じのもの。見た目ほどは甘くなく、これが一番おいしかったです。
 
さー、アマルフィの中心部です。地中海に突き出た堤防の先から町を見たところです。真ん中に鐘楼があり、その右の三角が大聖堂、左右にホテルなどが立ち並んでいます。
 
大聖堂の右手後ろの山の上には城とそれを取り囲んで古い城壁が残っています。
 
左手の山の上にも見晴らし塔というか、お城というかがあり、町を両側から衛っていたことが良く解ります。
 
これが遠くから町の中心に見えた大聖堂と鐘楼です。
 
聖アンドレア大聖堂です。町の守護神、聖アンドレアに捧げられた大聖堂で、9世紀に創建されたのだそうです。
 
大聖堂に向かい合って建つ聖アンドレアの泉です。
 
そしてその前、ドゥオモ広場を走る自転車です。
 
停まっている自転車もありました。
 
ここアマルフィは階段の町です。重い荷物はロバさんが運びます。背負っているカンの中には砂のようなセメントのようなものがしっかりと入っていました。
 
大聖堂の中は、華美というよりは荘厳な感じがしました。
 
大聖堂側から見た山の見晴らし台です。海からの外敵にニラミをきかせていたのでしょうネ。
 
町にはすぐに山が迫っており、家はアーチを基本として建てられ、道路は車が来たら人がよけなければならないほど細いものばかりです。
 
この地方ではクリスマスツリーでなく、このような飾りに灯りをつけるそうです。プレセピオというそうです。
 
アマルフィの親子です。自転車と子供の服は色合わせをしたのでしょうか?
 
出ました、スパゲッティボンゴーレです。でも残念ながらちょっと冷めていてガッカリでした。
 
メインは白身魚、ポテトはおいしかったです。
 
イタリアの楽しみはおいしい食べ物だったはずなのに、一日目は期待はずれでした。私、そんなに贅沢ではないと思うのですが、、、。
 
かくしてアマルフィの日が暮れて、夜景も素晴らしかったです。
 
さて、ここで問題です。この絵はどこにあったものでしょうか?正解は、、、ホテルの部屋の天井に描かれていたものです。昔の修道院というのは本当でしょうか?
今回のアマルフィツアーでガイドさんの説明ではその昔は小さな漁村だったとか、大富豪たちの別荘が多く出来て発展したとか言われたのですが、どうも納得がいかず、帰ってから調べてみました。アマルフィは海洋国家、貿易で発展したのです。背後が切り立った山ばかりのアマルフィが発展したのは、北アフリカへ木材を売り、黄金を得、それをビザンティンで香辛料や貴金属製品、高級織物などに変えてイタリアに戻り、巨万の富を築いたのだそうです。造船所があったり、早くから紙製品を製造したり、海洋帝国として海洋法を定めたりしたそうです。羅針盤を完成させたのもアマルフィ人、フラビア・ジョイアといわれているそうです。今回は出発前に一応の下調べはして行ったのですが、現地ガイドに、あまりに漁村説を力説され、なんとなくうなずいてしまいそうになりましたが、あんなに山ばかりのところで漁をしても、どこへ売るのだと思います。でも、とても美しい、なぜあんな急な所へ次々と建物を造るのか、とても不思議な光景であることに疑問はありません。自然遺産でなく文化遺産なのですが、理屈抜きで、見ただけで素晴らしい場所でした。ナポリからバスで1時間半ばかりの場所で、割と行きやすい所です。ここは世界遺産の価値は十分にあると思います。お勧めします。ただ、今のところ食事は期待ほどではありません。トーチャンがケチって安いツアーにしたのでしょうか?次回はカステル・デル・モンテへ行きます。お付き合いください。