プロジェクト135パート2 第16回 「モロッコ、アイット=ベン=ハドウの集落」

 皆さんは"モロッコ"と聞くと、どんな国を想像しますか?私は赤茶けた砂漠の国を想像していたのですが、なんと緑豊かな農業国の部分もあるのです。正直に言えば、失礼ながら月の砂漠をラクダで歩く隊商達の国といったイメージを持っていたのですが、どうしてどうしてモロッコに九つある世界遺産は全て文化遺産という歴史のある国でした。

 古くは紀元前1600年頃からベルベル人が住み、マウレタニア王国、ローマ帝国の支配、ビザンティン人やゲルマン民族が次々とこの地を襲い、700年頃からアラブ人が入ってイスラム化が進み、現在はアラブ人65%、ベルベル人30%、その他5%という人口構成の国です。

 今回はモロッコの第一回(通算16回目)、印象的だったアイット=ベン=ハドウの集落を紹介します。

 
■今回場所は
 

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これがアイット=ベン=ハドウ、ベルベル人の有力一族だったハドウ族が築いた集落の遠景です。私の左手の看板が世界遺産のプレートです。
 
上の実際の写真ではわかりにくいですが、昔、この集落はこんな具合だったと説明している絵です。
 
孤立した集落であるこの集落は盗賊などの掠奪から身を守るために、マレ川の向こう側の丘に建ち、城砦(カスバ)に匹敵する構造になっています。
 
ここへ来るのには、バスや自動車、バイクなどで砂漠の中を突っ走って来なければなりません。
 
集落の中はロバさんの出番です。
 
この集落には、現在5家族しか住んでいないそうで、大半の住民は対岸へ移ってしまったそうです。数少ない住民の一人が私達を集落の隅々まで案内してくれました。
 
手前が集落を上から見たところ、マレ川の向こう岸が、住民が移り住んだところです。
 
手前の城砦のような集落と、盗賊などの心配が少なくなってからの新集落は、その盛衰が一目でわかります。
 
集落の内側は崩れかけた屋根が目立ちます。ここは数少ない住民のいる家なのでしょうか?
 
家や城壁はこのような日乾しレンガを積んで作ってあるのですから、500年前頃に作られたのではないかといわれているこの集落が、崩れて来ているのも仕方のないことなのでしょうか?
 
近年、ユネスコの援助を受けて、順次修理が進んでいるそうです。
 
さて集落の中はまるで迷路のようでした。敵に攻められたときの為だそうです。
 
階段や行き止まりがあちこちにあり、案内がなければとても頂上まで行きつきません。
 
小高い丘の頂上にある建物は見張り小屋と食糧貯蔵庫を兼ねていたそうです。
 
頂上から見ると砂漠の連続です。こんな所へ、他部族や盗賊が砂漠からやって来たのでしょうね。
 
この集落はモロッコ南西部、ワルザザートという町の北、およそ40kmのところにあります。昔はこのように隊商がオアシスを求めて歩いていたのです。ところで、これ私が撮った写真です。
ワルザザートから東へおよそ400km、メルズーカ砂丘へ朝日を見に行ったときの写真です。
 
これが私が乗せてもらったラクダです。大人しいラクダだったのですが、立ち上るときと座るときはツンノメルかと思いました。歩くときは高くて気持ち良かったです。
 
アイト=ベン=ハドウ集落までは、このラクダに乗ったメルズーカからワルザザートまでおよそ400km、この地図でラクダのいるあたりから左上までバスの旅です。
 
これが今回お世話になった大型バス。お客はなんと11名。快適でした。
 
バスそのものは快適だったのですが道路が…。日本で一番細い道は片側一車線といいますが、モロッコは両側一車線なのです。対向車がいないときは両輪を舗装の上に乗せて走るので問題ありません。
 
…が、対向車が来れば片輪を未舗装へ落として走ります。ユ・ズ・リ・ア・イ です。
 
400km先のワルザザートまでノンストップで走るわけではありません。途中ベルベル人の住居に寄せてもらいました。どこかからロバを引いた女性が登場。
 
ロバは炊事小屋へ。
 
運んできたのは水でした。
 
炊事小屋を見学。
 
ベルベル人住居にヤーヤーとご挨拶。
 
なんとテントの中には日本人観光客がミントティーをご馳走になっていました。左端の人がベルベル人のオカーさん。ここで寝たり食事をしているそうです。子供が2人、砂漠の中をマウンテンバイクで通っているそうです。
 
こんな感じで通学しているのでしょう。
 
モロッコでは自転車は重要な移動手段です。民族衣装の人も自転車に乗っています。
 
どこを通るかはその人の自由?
さて、砂漠の中でこの人は何をしているのでしょう?実は「カナート」と呼ばれる地下の路から、崩れた石を引き上げているのです。昔はこうやっていたという見世物ですけど。
 
石を引き上げる場所が点々と続きます。
 
中はこんなになっていて、昔はここに水が通っていたのだそうです。思った以上に大規模でした。
 
メルズーカからワルザザートまでの街道は、通称カスバ街道と呼ばれるほどカスバが次々と出てきます。
 
カスバというのはベルベル人達が造った城壁で、周りを囲った村のことで、いわゆる要砦村とでもいうべきでしょうか。
 
壁で囲った四隅に塔がある、カスバの典型的な風情です。
 
飽きるほどカスバを見て、ワルザザートで一泊してようやく本来の世界遺産、アイット=ベン=ハドウの集落にたどり着いたわけです。
 
今回のメルズーカからこの集落までは、アトラス山脈の南側、緑のない砂漠地帯です。北の緑の地域に住んでいたベルベル人が、アラブ人や他部族の襲撃などを恐れて造ったカスバは主にアトラス山脈の南にあります。そのベルベル人の未裔、我が集落案内人が自宅へ招いてミントティーをご馳走してくれました。
 
カマドはあの砂漠の中で見たベルベル人の住居と同じものがありました。
 
なんとお風呂までありました。
 
さて、今日のお昼は、モロッコサラダでしょ。
 
ベルベルオムレツでしょ。
 
それにお馴染み、ミントティーです。
 モロッコはアフリカ大陸の北西端に位置しており、東西1300km、南北1000kmほどの約45℃傾いたいびつな長方形のような国です。そのほぼ中央に、東西に3000m級の山が連なるアトラス山脈があり、その北側は緑に覆われた豊かな大平地とカサブランカ、首都ラバト、フェズなどの大都市があり、南側が砂漠地帯カスバの連続になります。民族も3分の2がアラブ人で主に北側に住んでおり、3分の1がベルベル人で主に南側に住んでいるという国です。

 中国雲南省も日本とはだいぶ違うと感じましたが、モロッコは全くの異国でした。見たことのない場所を見、食べたことのないものを食べ、歴史も文化もまるで違う国を訪問するのはとても刺激的で、ますます楽しくなってきました。

 もしかして、135パート2の目標は135ヶ所の世界遺産を巡るにしようかしら…なんて無理ですかね?

 次はNo.17 モロッコ、マラケシュ旧市街をご紹介します。