BMX一色に染まった僕の半生!

小学1年生の頃に出会い、始めたBMXレース

小さい頃は、どうしても勝てない速いライダーがいたり、レースでいっぱい悔しい思いをしてきました。「少しでも追いつきたい!」「勝ちたい!」と思い、毎朝4時半から学校へ行く前までコースで練習をしたこともありました。その甲斐もあって、勝てなかったライダーを抜いて優勝できた時は、本当に嬉しかったと同時に、「頑張れば実る!」とやり甲斐を感じた事を今でも覚えています。

中学時代は、学校へ行くよりBMXに乗っていたい!

BMXの本場カリフォルニアに憧れを持ち始め、ビデオでアメリカのBMXシーンを観ては興奮していました。学校よりこっちの方が楽しい。BMXを勝手に優先(笑)! 朝、学校に間に合う時間に起きて天候を見る。「は~カリフォルニアってこんな空なんやろな~」快晴の空を見ると「今日もやっぱりBMXに乗ろう!!」。家からBMXコースが運命的に近かった(BMX自走で10分)事もあり学校をサボって朝からBMX漬けの日々を送りました。(笑)
当時は、アメリカのようなコースやジャンプが日本に存在しなかったので、地元のコースに見よう見まねでジャンプを作ったりして、乗る事はもちろん、コースを作る難しさ、楽しさを知りました。その頃は、BMXだけに限らず鈴鹿ロードは毎年恒例のように出場したり、地方のロードレースにも参戦したり、MTBもクロカン・ヒルクライム・エンデューロなど、色々な種目に参戦していました。

16歳で憧れのカリフォルニアへ!

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17歳、カリフォルニアのトレイル。Photo -TACOS-

16歳の頃、お世話になっていた先輩ライダーに初めてカリフォルニアへ連れて行ってもらいました。
そこで初めて見た本場のBMX!!!
自分より上手くてかっこいいライダー、当時ビデオでしか見たことがなかったライダーとカリフォルニアで一緒に乗れた事は夢のようでした。その時出場したABA (American bicycle association) ワールドカップで、年齢別クラスで決勝まで勝ち進み6位入賞を果たしました。
それから帰国してもカリフォルニアでのBMXが頭から離れず、18歳になると同時に車の免許を取得して初めて単身でアメリカへ。LAX空港の外へ出て、着いたー!!んで??どうする?まずはレンタカーか?

18歳でBMXだけをもって単身渡米!

その時は、どうしたら良いのか分からず、空港の外でガンガン行き交うバスと人を見ながら一人でベンチに座った事を今でも覚えています。(笑)
英語も喋れない、何の知識もないのに勢いでBMXだけ持って行きました。(笑)
どうにか車を借りて、LAXから南へ下りオレンジカウンティーに到着したら次は宿探し。近場のモーテルを虱潰しに調べて1ヶ月間泊まるから安くしてくれ!と現場で交渉しまくりました。
朝からトレイルでライディング、昼は大好きなHuntington Beachでランチしたり、海沿いをサイクリングしたり♪そして夕方からレースコースがオープンするので、スタートゲートを使ったレースの練習を夜まで。常識に縛られない本能のまま動く、まさにBMX三昧の日々を送りました。
その頃のアメリカでの食生活は、基本ハンバーガーやメキシカンばっかりでした。「In-N-Out Burger」「Carl’s Jr」「Del Taco」「Jack in the box」など、色んな店と種類があって美味いけど、やっぱり日本人。近くに日系スーパーがあったので、2日に1回は日本食を食べていました。箸を使って食べる定食は、生き返る気がしましたねー。

アメリカ人の人柄の良さに感動!

ABA主催のナショナルレースにも参戦し、なかなか良い結果が残せないレースが多かったけど、アメリカ遠征を何度も重ねてやっと優勝できた時は、背丈ほどあるデカいトロフィーを貰って本当に嬉しかった!
そして嬉しかった事がもう1つ、アメリカ人の人柄の良さ!「今の良いレースだったよ!」「次のレースも来るか?」などなど、気さくに話かけてくれて受け入れてくれた事です。
たとえば、トロフィーがデカすぎてパッキング出来なかったので、そのまま手荷物で空港に持って行ったら「勝ったのか?」「すごいな見せて!」「またアメリカに戻っておいで」とかその都度立ち止まって色んな人と話しました。が!日本に着いて電車に乗ると横目でトロフィーはチラっと見るけど、誰も話かけてこない。どっちかと言うとコソコソと僕に聞こえないように「あれなんのトロフィーだろうね?」そんな感じだったので、良くも悪くもアメリカ人と日本人の気質の違いを身をもって経験しました。

世界中のレースに参戦、プロライダーへ!

18歳から毎年のようにアメリカ遠征を繰り返し、日本のレースでは最高峰エリートクラスに上がりました。エリートクラスでは、全日本選手権3連覇を達成し、それからUCIワールドカップが視野に入り始め、新たにアジア選手権大会も始まりました。カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・オランダ・フランス・ブラジル・中国・タイなど、世界中でBMXに乗る日々を送ってきました。それぞれの国でBMXを通じて出来た友達は、今でも僕の財産です。

そして、BMXがオリンピック種目に決定。

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2002年ワールドカップ。Photo -Hot-Dog PRESS-

これを機にBMXは、アクションスポーツの世界からガラッと一気に様変わりしました。分かりやすく言うとアスリート化。かっこ良さよりも速く!って感じ。オリンピック種目になると同時にエリート専用のコースが設けられるようになり、コースのレベルがグンと上がりました。そこで、オリンピック出場を目指す道を選択したレース遠征が始まりました。その当時、所属していたチームに遠征費を120%援助してもらえてレースに打ち込める環境が整いました。

その期間(4年間)は唯一、「PRO BMX Rider」として活動できていた時です。

初めての就職でもBMXを貫く。

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現在の勤務先、日本サイクルスポーツセンターでトボガンを決める。Photo -KasukabeVisionFILMz-

それからも休まずレース参戦を重ねて2010年、転機が訪れました。今まで一度も経験した事がなかった就職です。プロBMXライダーとしてのピークが過ぎた頃「仕事せな」と現実を目の当たりにしました。ありがたい事に体は健康やし、その気になれば何でも出来ました。でも、ラーメン屋?工場?スーツ着て営業?と一つ一つ自分ではやりたくない事を消去していくと、やっぱりBMXしか残りませんでした。(笑)
そこで思いついた職業は、BMXのコースビルダー!でもそんな職種はどこにも存在しなかったけど、今まで真剣に走ってきた経験を生かしたい!走ってきたからこそ分かるジャンプの角度や形。エリートライダーだからこそ就ける職業というものを形にしたいと思いました。そして願えば叶う!
地元大阪を離れ静岡県伊豆市にある、日本サイクルスポーツセンターのBMXコースの管理人と先生役として就職しました。現在も変わらず乗り続けていますが、スコップでコースを作成したり、レースを開催したりとBMXに携わる仕事をしています。この先、どこまで出来るか分かりませんが、体の動くうちは踏ん張って続けていこうと思っています。