ジムフェルト×ロードバイク
ロングインタビュー
ロングインタビュー
FELTブランドの歴史をジムフェルトにインタビュー
私(ジム・フェルト)は南カリフォルニアの出身です。 多くの自転車業界の人と違って、私はモーターサイクル業界で経験を積んできました。 私の幼い頃、父は航空産業のエンジニアでした。 故郷の家は日本の町工場のようで、たくさんの工作機械があり、小さな時から使い方を教えてもらっていました。 |
小さな頃、芝刈りのアルバイトをして最初のモトクロスバイクを買ったのが最初の 1 台でした。 モトクロスのレースでは自分で図面を引いて削り出したパーツを組み込んだバイクに乗って選手として活躍していました。 |
レースでの優勝を重ねてジムフェルトの名前が有名になると、Kawasaki から製品開発のテストライダー兼エンジニアとして誘いがありました。 それ以来、22 年間 Kawasaki、Suzuki、Yamaha、Honda などのモトクロスバイクのエンジニアとして、合計 8 回の世界チャンピオンを経験しました。 |
エンジニアとしての仕事はかなりハードで、常に体を鍛えているうちに、トライアスロンという競技に出会いました。まだその時は 1982 年のトライアスロン黎明期でした。 モトクロス業界から見ると、当時の自転車のフレームは時代遅れで、もっと速く走れるバイクを作るため、自分のためのフレームを試作しました。 そのトライアスロンバイクの試作品を見たイーストンから声がかかりました。 当時イーストンはテニスラケットやホッケーなどの分野で先進的な企業でした。ちょうど自転車部門を立ち上げるタイミングで、特に金属とチュービングに詳しい技術者を必要としていました。 イーストンと契約した私は、自転車業界で成功するために、トライアスロンのレースで優勝するためのプロジェクトを任されました。 開発において他のバイクメーカーと決定的に違ったのは、タンゲなどのチューブメーカーからパイプを買って組み上げるのではなく、アルミのブレンドからスタートし、パイプの成型、溶接までゼロから作り上げました。 最初に完成したフレームは当時最新鋭の戦闘機 B2と同じカラーのマットブラックに塗装し、名前も B2としました。 それ以来 FELT の最上級モデルは常にマットブラックを採用しています。 |
EASTON のバイクとして開発をしていましたが、モトクロス用に使っていた自分の名前のステッカーがあったので、ダウンチューブに張り付けました。 そのため、B2 には EASTON と FELT 両方の文字が入っていたのです。 そのバイクに乗ったポーラ・ニュービーフレジャーがレースで活躍し、FELT という名前が大きく取り上げられました。 その後、ドイツ人のマイケル・ミュルマンと一緒にFELT BICYCLES を設立しました。 |