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自転車で日本100名城ツーリング 岡山城 第69回

   
   
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  【その一】 岡山城に登城しました。  
 
   
 
 
 
   
  ヤフーラボで高低差も チェーック!!  
 
 
  【その一】:岡山城に登城しました。

 
     
  日本100名城 岡山城
 
二泊、お世話になった備中高梁の油屋旅館さんともお別れ。
二晩も泊まると常宿のような馴れ馴れしさが出てきてしまっています。
 
 
 
     
   
 
男はつらい人たち御一行も映画ロケで二回も来ましたからね。
我々も必ず再訪しますよ!
 
 
 
     
   
 
今回も雨予報をガーサスDが見事に覆して、気持ちの良い朝の光に包まれながら私たちは静かに岡山城を目指していたんだ。
 
 
 
     
   
 
30kmほどで寄り道スポットに。
羽柴秀吉の水攻めで有名な備中高松城跡。
 
 
 
     
   
 
縄張りの面影は残っています。この辺り、一帯、水浸しだったのね、と。
1985年にも大雨で冠水し、水攻めが再現された、とか。
 
 
 
     
   
 
水攻めの最中に本能寺の変が起きたため、慌てて和睦して、中国大返しを発動することになりましたから、備中高松城はわりと、その時歴史が動いた、場所です。
 
 
 
     
   
 
和睦の条件として自害した城将、清水宗治は、このエリアでは英雄視されているのが面白かったです。主家に忠義を尽くした義の武将、という扱いです。
 
 
 
   
 
 
 
ここにある資料館の紹介ビデオで、完全に清水宗治に心打たれたヨシさん。急に「宗治公」と尊称し始めました。
 
 
 
     
   
 
すぐ近くに清水宗治公、自刃の史跡もあるということで急行しました。
 
 
 
   
 
 
 
自刃の跡地・・・。舟を浮かべて、その上で自刃したといいますからこの辺りは水に沈んでいたということですね。
 
 
 
   
 
 
 
備中高松城から岡山城まで残り15kmほど。
 
 
 
     
 
 
 
もう岡山城の内堀も近い、ということで、ヨシさんのラストスパート。
最近はツーリングを重ねているようで、こうしてエネルギーを無駄使いしないと、備中松山城から岡山城の50kmほどでは、消化不良を起こすようです。
 
 
 
     
 
 
 
ガーサスDの情報によると、岡山城には、築城した宇喜多秀家が家臣を惨殺したため、祟りを恐れて、開かずの間と呼ばれた部屋がかつてはあったそうです。
 
 
 
     
 
 
 
宇喜多秀家は関ヶ原で敗れて、八丈島へ島流しに。
代わって城主になった小早川秀秋は、裏切りを苦にしてか分かりませんが、僅か二年で岡山で狂い死んだそうです。
 
 
 
     
 
 
 
そんな謂われ多き黒い城。不穏な空気がびしびし来ます。
 
 
 
     
 
 
 
近くで見たら金色の装飾が映える美しい天守でしたけどね。
 
 
 
     
 
 
 
ここでもやんややんや言いながらスタンプを押しました。
岡山城は70番目。我々にとっても記念すべき70城目です。不穏なこと、起こらなければいいですが。
 
 
 
     
 
 
 
岡山の城下を眺めつつ、それではみなさん、またどこかでお会いしましょう!
 
 
 
     
 
 

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