第63回 白河小峰城の回 ページメニュー | ||||||||
【その一】 白河小峰城に登城しました。 | ||||||||
ヤフーラボで高低差も チェーック!! | ||||||||
【その一】:白河小峰城に登城しました。 |
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今回は会津を旅します。 長州出身のみよっしーに参加してもらいました。会津で何かあった際には、生贄として差し出す所存です。 |
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新幹線という名の早馬に乗って、やって参りました! 大宮から1時間、近いですね。 最近、トレーニングに夢中のヨシさん曰く、1時間だったら自転車で走ってくれば良かった。 調子の乗り方が半端ないな。 |
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白河は関東から東北に入る入口。奥州街道の重要関門ということです。 みちのく一人旅をした人は必ず、この関所を通ったことでしょう。 |
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そして日焼けは天敵。餅は焼いても、やきもちと肌はいけません。 美肌を守るアスリートサンクチュアリ、というわけです。 |
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気合い入れて出発しましたが、白河小峰城は駅のすぐ側です。 |
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新幹線の新白河駅からは2、3分、離れていますので、福山城ほどの駅チカ城ではないですが、JR白河駅からは目の前です。 |
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わりと立派で高い石垣で囲まれています。 あそこが入口に違いない、と見れば分かることを重々しく言われても、なるほどと感心してしまうのが良い城というわけです。 |
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黒込接とでもいうのかな、と思っていると、崩落の跡でした。 大震災の爪痕はまだまだ残っていますね。復旧は大変な仕事です。 |
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こちらの対応は早いです。撮影したがる人、絶対いますからね。 |
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白河小峰城は、戊辰戦争の激戦地の一つです。 東北への入口ということは、会津に侵攻する最初の城ですから。 この門もそのときに焼失したのでしょう。 |
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長州藩士のみよっしーが聞き捨てならないことを言い放ち始めたので、ピー、が入ります。 |
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本丸の表御門は、平成に入って復元されました。 ざまあみろ、みよっしー。 |
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ヨシさん曰く、白河小峰城は所有するのに丁度いい。 大阪城や姫路城はやりすぎ感が強すぎて、このぐらいコンパクトなほうがいいそうです・・・。 最近はこういう調子です。 |
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その丁度いい感を出している三重櫓。 平成に調査や絵図をもとに伝統工法で「復元」し、その後の復元ブームの先駆けとなった櫓です。 |
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百名城スタンプは櫓入口で。受付の人にやんややんや言われながらも捺すことができました! |
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出た、この斜度。 さすが、忠実に復元したというだけあります。 |
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とりあえず、手持ちのキャメルバッグで石落としを再現。
その浅はかさ、いいですね。 |
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床に鉄砲玉の跡!? と思ったら、復元のときに近くの山の木材を使ったらその木に銃痕があったそうです。 生々しいですね。 |
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眺めのいい城、白河小峰城。 ライトが夜城への期待を高めますが、我々はこれから自転車で旅立たないといけません。 そうでないと、まだ5分も自転車に乗っていませんから。 |
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前後からみよっしーを護衛しつつ、二本松城へ行軍していきます。 新政府軍もおそらくこの道を北上したでしょう。 |
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奥州街道。 ついでに松尾芭蕉も北上したように思います。 |
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お昼は、ソースかつ丼。 腹ごしらえしつつ、次回は二本松城を目指します! |
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