第61回 松代城の回 ページメニュー | ||||||||
【その一】 松代城に登城しました。 | ||||||||
ヤフーラボで高低差も チェーック!! | ||||||||
【その一】:松代城に登城しました。 |
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上田で一夜の宿を取り、今日も自転車旅行! 宿では Hovdingは必ず充電しておきましょう。18時間もちますが、ツーリングでは長く乗る場合が多いので毎日充電しておくに越したことはないですな。 |
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実はこの日、充電し忘れて、夕方、残量が少ないことを知らせるアラーム音がピッピッと鳴り始め、焦りました。 |
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さて、上田城から松代城までは30km弱、またひたすら下りですが、今日はその後、松代から野尻湖までの登りがあるので、若干、不安も漂っています・・・。 |
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松代城下までは何の問題もなくクリア!城下町風の道を自転車で走るのは、一つ、このような旅の醍醐味といえるでしょう。 |
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「藩校」や「塾」は幕末が好きな人なら一度は口にするでしょうね。そんな松代藩の藩校を見物。 |
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おっと、松代城二の丸の前で、全く予期せぬお出迎えをうけました。 六体いるらしく、「六モンキー」を名乗っていました。 最終的に松代の領主となった真田家にちなんで、とお見受けします。 |
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わりと公衆の面前で堂々と着替えたりしていたので、子供の夢を壊さないかハラハラしました。 |
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信州と言えば、林檎。自転車は旅、乾いたのどには、林檎ジュース。 |
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ガイドのスタッフも常駐。松代に政府の中枢を移す計画が、太平洋戦争末期にあったという国家機密まで漏らしてきました。 まさに松代の生き字引といえます。 |
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ついでにお茶でも飲んでいきなさい、と言われ、こちらのブースに招かれました。地元で作った漬物などを無料で提供してくれました。美味しかったです。地産地消。 |
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こちらの方々は、自転車で手紙を読みに行く番組にハマっていて、我々の自転車旅行にも興味を持ってくださいました。筋肉痛は、この辺りでは「身がはいる」というらしいです。 |
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肝心の松代城は、というと、やはりこの本丸枡形虎口の太鼓門が見どころです。 |
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百名城スタンプは真田邸の入口に移動になっています。 |
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松代城は戦国期には「海津城」と呼ばれていました。海津城といえば、川中島の戦いで重要拠点に挙げられています。 |
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武田軍はここ海津城、上杉軍は妻女山に屯って睨み合っていました。一番の激戦といわれる第四次川中島のお話です。 |
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キツツキ戦法の失敗は、有名な話ですが、その舞台の一つ、妻女山は、上田城から自転車でくると、松代城の手前にありました。 |
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この後の野尻湖への上りを思うと、ここで体力を消耗したくなかったですが・・・。 奇襲にきた武田勢も思いは同じだったかもしれません。 |
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妻女山に奇襲をかけて、上杉勢が慌てて山から下りてきたところを待ち伏せしてやっつけるはずが、読まれてしまい、逆に待ち伏せ隊を全力でやっつけられたそうです。 |
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高低差100mほどとはいえ・・・。 ちなみに上には見晴台もあります。 |
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説明板と合わせると、キツツキ戦法破れたり、の動きが見渡せて楽しいですよ。 |
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妻女山には上杉謙信の神ネタがあります。あまりに咽喉が乾いたので、手下の槍をかりて地面に突き立てたところ、なんと泉が湧いてきたそうです。 今でもちょっと水が地面からしみ出していたから驚きです。 |
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それを現代風に再現するということを試みてしまいました。再生は暇すぎるときにお願いします。 |
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450年ほど前のことにはなりますが、妻女山にはもう上杉勢がいないことを確認したので、我々も決戦の舞台、八幡原へ! |
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自転車で旅をすると周辺史跡を巡るのにたいへん便利です。 現在では八幡原史跡公園として戦国ファンを待っていました。 松代城から北へ4kmほどです。 |
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ここでもガイドの人が頑張っています。 川中島の戦いについて、また、いかに信濃川が長いかを教えてくれます。 |
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【注意】Hovdingは自転車用エアバッグです。 次回は上杉の春日山城を目指します! |
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