第46回 鹿児島城の回 ページメニュー | ||||||||
【その一】 鹿児島城への道 | ||||||||
【その二】 鹿児島城に登城しました。 | ||||||||
【その二】:鹿児島城に登城しました。 |
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【コメント:のぶ】 新幹線と自転車を駆使して、一日のうちに熊本城から鹿児島城に着きました! 着いてまずやることといったら、着きました動画です。こまめな報連相はたいへん大事です。 |
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大手には、1810年に架けられた石橋がのこっています。
自転車は二ノ丸に止める必要があります。二ノ丸は図書館になっています。 |
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堀に臨む石垣は関ヶ原以後の城らしく、切込接の丁寧な作りです。 |
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北東は鬼門と呼ばれ、各城それぞれのマジナイ的な工夫が見られます。 鹿児島城では石垣の隅を削るという荒業。 近代化した薩摩王国に化ける島津家にもこういうお茶目な一面があるわけですね。 |
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大手には御楼門が明治までありましたが残念ながら焼けました。枡形の入口は体感できます。 |
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熊本城の直後というのもありますが、鹿児島城は遺構の見所はそれほど多くありません。歴史上は重要な場所であることは間違いありませんが。 そんなわけで、当時の姿に想いを馳せるべく、エアタブレット案内です。 |
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本丸にある黎明館という資料館でスタンプを押していると、受付のお姉さんが、「よく西南戦争の銃弾の跡、見逃す人がいるんだよな~」と聞こえるか聞こえないかくらいの声でツイートしてきた。 |
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さっそく、行ってみましょうや。 ついでにこの動画で、御楼門跡、石橋、石垣もご確認ください。 |
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動画を再生する時間なんてないよ、という方はこちらでご確認ください。 御楼門跡の石垣。 |
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隣接する西郷隆盛の私学校跡にも立派な(?)弾痕があります。 |
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城は武士の歴史とともにあるもので、西南戦争で鹿児島を守る城山が落ちたときに日本史の中で城の役割も終わったと言えるかもしれません。 |
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「取れ高が足りません」というガーサスDの一声で、西郷隆盛の終焉の地を探すこととなりました。動画導入したとたん、カメラ小僧からディレクターに昇格しております。 |
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わりと探しましたが、ありました。ここに行く方には、急がば回れ、とアドバイスしておきます。 |
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西南戦争で戦死した西郷隆盛の最後の言葉は「晋どん、もうここらでよか」だったそうです。 西郷どん最期の地で、今回の旅を振り返るとこうなりました。 |
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