第41回 福山城の回 ページメニュー | ||||||||
【その一】 福山城に登城しました。 | ||||||||
【その二】 しまなみ海道 | ||||||||
【その二】:しまなみ海道
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【コメント:阿部ちゃん】
福山城に行ったわけですが、それでは今日の取れ高OKが出せないとガーサスDが辛辣に意見してきたので、しまなみ海道を走るという企画をねじ込みました。しかし空が青い。なんだそのTシャツ。 |
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今日は宿まで60km。しまなみ海道を走るバスもあるみたいですが、今日はほぼ人力で参ります。せっかく同じカラーのTシャツを着てきたのですが。 | ||||||||
安全で広めの平坦な国道を安定的に走り、ようやくしまなみ海道の表示が見えて参りました。でもおや?緑色って自転車大丈夫でしたっけ? | ||||||||
OH!DO NOT ENTER!ジテンシャモマタシカリ!スティーブノブズ氏得意のアイフォンで行けそうな気がする~道を再検索。たぶん、あると思います。 | ||||||||
どうやら街の方々が口を揃えておっしゃるには、尾道駅、いや尾道ステーションにしまなみ海道第一の島(広島アプローチ目線で)へ繋ぐフェリーが出ている模様です。ムム! | ||||||||
郷に入りては郷に従えとか申します。無理に本州からダイレクトにアプローチする必要はないのです。日本一短い船旅、体感せよ。 | ||||||||
このような具合に自動車やら自動二輪車やら原付自転車やらをゴロリと積載できる優れもの。乗船時間はものの5分ですが、あるのとないのでは雲泥の差。もしなかったら本州から指をくわえてしまなみ海道を眺め続けることになっただろう。 | ||||||||
などと独り言を呟いていると、自動的に第一の島、向島に到着しました。到着した安堵感とこれから40km走らなくてはいけない使命感を同居させた2人は一旦ニュートラルに戻します。 | ||||||||
道にはこのようなラインが引かれています。国の許可を得て。このブルーのラインを伝って走れば自ずと今治に入ることができるという仕組みです。もうナビなんていらない。
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今治へ向かう人。今治から来た人。 | ||||||||
それはそれで。しまなみ海道、それは数多の島を橋で繋ぐ絆の道。まずはあの大きな橋を渡ります。 | ||||||||
因島大橋というらしいです。何故なら向島と因島を繋いでいるから。自転車用の入り口があるみたいです。これがまたしんどいんだ。リアルに。 | ||||||||
因島に入り、なんとなく島の雰囲気を醸し出し、人との繋がりとは何たるかを各々が感じつつ、静かに先を急ぎます。左手の不自然な石垣には一切目もくれず。 | ||||||||
ここで一旦寄り道です。のぶさんがどうしても寄りたいと某コンビニの駐車場でだだをこねた因島水軍城。広島編に厚みをつける、しまなみ海道を走る為の理由づけとでも言いましょうか。 | ||||||||
何やら島のシンボル然とした建物がひょっこり顔を出しておられる。城自体は昭和58年に建てられたみたいですが、南北朝時代から戦国時代まで活躍した村上水軍なる集団の歴史を学ぶことができる一種の観光スポット。 | ||||||||
村上水軍とは今でいう海上保安庁のようなもの。因島を中心に中国地方の毛利家へ襲い掛かる敵からの攻撃を幾度となく守り続けた海のヒーロー。丁度会議中だったので早めに引き上げました。 | ||||||||
詳しくはこちらをご覧ください。 | ||||||||
まだまだ先は長い。もう一個島を跨がなくてはなりませぬ故、因島はそろそろ経ます。 | ||||||||
病める肩に鞭を打って気合いを表現し、生口大橋経て~ | ||||||||
生口島を走行中妙なイベントが開催されていました。こんな日暮れ時。このイベントを古くから知る現地の初老の男性が「神輿を沈めとるんじゃ」と教えてくれました。「何で沈めてるんですか?」と問いかけてみると「・・・知らん」だって。そこ重要。 | ||||||||
瀬戸は日暮れて~♪多々羅大橋経て~大三島に入ります。 | ||||||||
最近巷で「あの人たちは果たしてちゃんと走っているのか?」という疑念の声が後を絶たない為、臨場感たっぷりの証拠映像を御用意しました。もう、何も言わせない。 | ||||||||
紆余曲折ありつつも、無事に本日の宿「民宿なぎさ」様へ到着。生きてる、生きてる。 | ||||||||
それでは最後に福山城編を振り返る現場の声をお聞きください。 | ||||||||