【プロジェクト135】とは、合計年齢 135歳(開始当時)、目標体重135kgとし、トム・カーコー夫妻が日本全国47都道府県を自転車で旅するという壮大な企画から始まりました。なんと、2年かけて、2人は47都道府県を制覇!!
そして、日本だけでは飽き足らず、今度は世界へ飛び出します!
【プロジェクト135 パート2】では、世界遺産を巡りながら、世界の自転車事情をお伝えしていきます。
ハプスブルク家の夏の離宮だったシェーンブルン宮殿はウィーンの郊外にあり、マリア・テレジア・イエローといわれる黄色というかクリーム色というか、独特の風合いです。シェーンブルンというのは美しい泉という意味だそうですが、全部で1400室もある、ヨーロッパ有数のバロック宮殿として知られています。天才といわれたモーツァルトがピアノを弾き終わってマリア・テレジアの膝に飛び乗った話とか、マリー・アントワネットに僕のお嫁さんにしてあげるといったとか、ハプスブルグ絶頂期がシェーンブルン宮殿です。内部は撮影禁止で、外観だけしか紹介できないのが残念です。 | |||
■今回場所は | |||
より大きな地図で プロジェクト135 第77回 「シェーンブルン宮殿と庭園群」(オーストリア) を表示 |
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宮殿の入口には双つの柱が建ち、ワシが翼を広げています。ハプスブルク家のシンボルだそうです。 | |||
見て下さいこの大きさ、写しきれません。 | |||
フランツ・ヨーゼフ。これはイエローでもテレジア・イエローではありません。 | |||
この宮殿の外観の色がマリア・テレジア・イエローといわれる色で、オーストリアの建物の外観ではよく見かけます。 | |||
ところで、オーストリアの旗は赤、白、赤のシンプルなもの。ドイツ人が、これなら上下も左右も間違わないだろうと決めたのだ、とオーストリア人ガイドが言っていたのですが、多分冗談だと思います。 | |||
宮殿の横や後ろには多くの庭園があります。世界遺産の名称もシェーンブルン宮殿と庭園群となっています。 | |||
後ろというか裏庭はものすごく広くて、向こうの建物は宮殿と庭園を一望するテラスでグロリエッテと呼ばれています。歩くと20~30分かかるそうです。行きませんでした。 | |||
そのかわりといってはなんですが、前回のブダペストからウィーンへ来るまでの間に寄ったところをご紹介します。これはスロバキアの首都ブラチスラバで見た自転車です。 | |||
変なオジさんと変なオバさん。 | |||
ナポレオンと東洋のオバさん。 | |||
後ろの工事中の建物は日本領事館、その前は番兵です。 | |||
スロバキアの自転車。 | |||
プラチスラバ城です。 | |||
エステルゴムというところの大聖堂です。 | |||
世界遺産ではありませんが、けっこう立派でした。 | |||
大聖堂のある、ここエステルゴムはハンガリーですが、橋を渡るとスロバキアで、私は今、スロバキア側に立っています。大聖堂の手前に私たちが乗って来たセレナーデ号、そしてこの場所はドナウの曲がり角と呼ばれているところです。 | |||
あの旗の向こう側がハンガリー、こちら側はスロバキアです。国境といってもただ印があるだけで、何もありませんでした。 | |||
大聖堂から見たドナウ河です。 | |||
かくして船はようやくウィーン(Wien)に着いたのです。 | |||
ウィーンで最初に見た自転車です。 | |||
そして再びシェーンブルン宮殿です。この宮殿には馬車が良く似合います。 | |||
再びフランツ・ヨーゼフなのですが、なぜか真っ青なのです。どこか探すと赤もあったのでしょうか? | |||
シェーンブルン宮殿、美しい泉はここからきているのでしょうか? | |||
それにしても大きな宮殿でした。 | |||
さて、この人は誰でしょう? | |||
そーです、あの世紀の美女、フランク・ヨーゼフの妃、エリザベートなのです。 | |||
そして、これがウィーン市内にある王宮です。シェーンブルン宮殿は夏の離宮、つまり別荘なのです。なんと贅沢な生活だったのでしょう、ハプスブルクの人たちは。 | |||
ウィーンの街の自転車です。決まってますネー。 | |||
この人は何を背負っているのでしょう? | |||
なんかサイズが合っていないような気がするのですが…。 | |||
シブイですネー。 | |||
今回は正直にいうと苦労しました。シェーンブルン宮殿の中が撮影禁止で、写真が少なかったのです。20才から39才までの間に16人の子供を産み、ハプスブルク家の栄華を楽しんだマリア・テレジアの写真も撮れなかったのです。ほぼ毎年子供を産みながら女王としての職務を果たしたなんて、どんな人だったのでしょう?私も丈夫な方だと思うのですが、とてもかないませんネ。フランク・ヨーゼフってどんな人だったのでしょう。エリザベートみたいな人を奥さんに持って幸せだったのかしら?などなど、シェーンブルン宮殿は、いろいろなことを想像させてくれるところでした。娘のマリー・アントワネットをフランスに嫁がせたように、16人も子供がいれば、ヤバイ国へはなんらかの縁を作って国防する、子供を産むことが国を守る一つの方法だったのでしょうか、マリア・テレジアにとっては?次回はウィーン歴史地区を紹介します。お楽しみに。 | |||
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