【プロジェクト135】とは、合計年齢 135歳(開始当時)、目標体重135kgとし、トム・カーコー夫妻が日本全国47都道府県を自転車で旅するという壮大な企画から始まりました。なんと、2年かけて、2人は47都道府県を制覇!!
そして、日本だけでは飽き足らず、今度は世界へ飛び出します!
【プロジェクト135 パート2】では、世界遺産を巡りながら、世界の自転車事情をお伝えしていきます。
ウズベキスタンと聞いて、どこだかすぐに分かる人は地理に詳しい人、ヒヴァなんて聞いた事もない人がほとんどだと思います。もちろん私達もウズベキスタンは初めてですし、ヒヴァなんて、地名だとも知りませんでした。ヒヴァはウズベキスタンの首都タシケントから西へ2時間ほど飛行機で飛んだウルゲンチからバスで30分ぐらいの所にあります。そのヒヴァの中心部にある内部の城の事をイチャン・カラといいます。長さ2,200メートル、高さ7~8メートルの城壁に囲まれたイチャン・カラは宮殿、モスク、ミナレット、廟などのたくさんの見るべき建物があり、その全てがイスラム色、日本との違いに驚くばかりでした。いろいろな国へ行きましたが、今まで行った国で一番日本との違いを感じた国でした。時代も何百年もあともどり、民族もたくさん、言語もバラバラ、とにかく興味深い国でした。 | |||
■今回場所は | |||
より大きな地図で プロジェクト135 第41回(ウズベキスタン)ヒヴァのイチャンカラ を表示 |
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イチャン・カラ(内部の域)の名前の由来の市街をかこった城壁の外側です。 | |||
中へ入ると片側に壁、その内側はあそこにもここにも古い建物だらけです。 | |||
古いのは建物だけではありません。この自転車は城内で見た物ですが、タイヤの感じからも現役のようでした。 | |||
カルタ・ミナルです。西門を入ってすぐのところにあります。1852年に着工、1855年に建設を命じた王様がペルシャとの戦いで死んでしまった為、26mの高さで中断してしまった未完成のミナレットです。 | |||
全体が青のタイルで覆われていて、100mを越える高さまでにして400km離れたブハラの町を見張ろうとしたのだそうです。未完成の26mでもこの高さですから、計画通りに出来ていたらどんな大きさになっていたのでしょう。 | |||
カルタ・ミナルをすぎ、右手にも大きなドーム、私の見ている先にはもっと大きな青い建物があります。 | |||
その先で、何とも不思議な踊りの集団に引き込まれてしまいました。私の右側のオバサンにホラホラこっち向いて…となってしまったのです。 | |||
モトモト嫌いじゃありませんから…ビデオカメラまで入ってしまって…こんなことになってしまいました。この国の人にとって、日本人のオバさんは珍しいのでしょう。 | |||
これ実は結婚式の流れで皆さんでお祝いの踊りをしていたのだそうです。この花嫁、いくつに見えますか?20才ですって。男性が25才、大体このくらいの年齢で結婚するそうです。 | |||
町の中はどれもこれも名のある建物のようですが、勝手に歩いていると何が何だか分からないぐらいいろいろな建物がたくさんあります。 | |||
この建物もきっと有名な物で、世界遺産を構成する建物だと思いますが何だか分かりません。帰ってからガイドブックと照し合わせてみると、アク・モスクの入口のようです。随分といい加減な案内ですネ。 | |||
それよりも町の中の自転車は荷物を運ぶ道具のように使われていました。子供も働き者です。 | |||
大人も…この荷物、手で運ぶの大変ですヨネ。やはり自転車は偉大だ…。 | |||
ところで、この大きな扉は何でしょう?グルッとまわってあとから行ったジュマ・モスクの入口のようです。 | |||
さて、ここがトシュ・ハゥリのハレムです。左手が4人の奥さんの部屋、右手がその他の人々の部屋、王様以外は全て女性だったそうです。 | |||
左手の奥さん達の部屋。石の台座に木の柱、青いタイルの壁は、外から見ている土壁とは対象的な豪華さです。 | |||
近づくと、これは日本にはない、と実感できます。 | |||
天井もすごいでしょう。 | |||
タイルはこんなです。 | |||
イスラーム・ホジャ・メドレセです。ヒヴァの最後のハン、イスフェンデイヤル・ハンの大臣イスラーム・ホジャによって建てられた神学校だそうです。 | |||
そのすぐ前を人を乗せて走っていた自転車です。ブレーキがないように見えるのですが大丈夫なのでしょうか? | |||
やって参りましたジュマ・モスク。多柱式建築というそうですが、中央アジアでは最も有名なモスクの一つだそうで10世紀に建てられたそうです。 | |||
全部で213本の柱があるそうです。石の台座に木の柱、木の天井で、今まで見て来たイスラム教の石のモスクとは大分違う感じでした。 | |||
よく見ると、1本ずつの柱にはそれぞれ違う彫刻があり、10~11世紀のもの、17世紀のものもあるそうです。 | |||
神秘的な薄暗がりの空間から外へ出ると、モスクのミナレット、飛行機雲、晴れわたった青空、何か現代にむりやり引き戻されたようでした。 | |||
パフラヴァン・マフムドの廟の前を元気に歩くウズベキスタン人の家族と疲れ切った日本人観光客。 | |||
皆さん、この縁台のようなベッドのような物は何だと思いますか? | |||
イスラム教のお祈りの様子です。 | |||
きれいなタイルでした。もう、何が何だか… | |||
ヒヴァで一番高いミナレットです。 | |||
だって、もう暑いし、いろいろな物がたくさんあるし、疲れてしまいました。 | |||
さー、お楽しみのお昼です。 | |||
大体まず3種類ぐらいのサラダというか前菜が来ます。これで3人前ぐらいで取り分けます。 | |||
パンというかナンというか? | |||
そして主菜です。アフガニスタンの食事は大体、口に合いました。インドに比べたら極楽でした。 | |||
ご覧の様にもう立派な建物だらけ、それもよく似た物が多く、写真を見て、行って来た自分にも訳が分からなくなってしまいます。日本で買ったガイドブックの他に現地で日本語も出ている本も買って照らし合してもアヤフヤな所が多く我乍ら情けなくなってしまいます。建物の詳細はともかく、その国の雰囲気はよく憶えています。今までにいろいろな国に行きましたがウズベキスタンは一番エキゾチックというか、予想と違っていました。古い歴史があり、タンケントなどチリひとつないといっても良いほど清潔な街でした。130もの民族が住んでいる国とかで、人々はフレンドリーな感じで、私達だけで街を歩いても危険を感じる事はありませんでした。朝青龍を小柄にしたような人がたくさんおり、もしかしたら日本人はウズベキスタンからシルクロードを東へ来たのかもしれないと思うほど(?)。今回はウズベキスタンの西の端、ヒヴァを紹介しましたが、次回は「青の都」とか「イスラム世界の宝石」とかいわれているサマルカンドを紹介します。おつきあい下さい。 | |||
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