【プロジェクト135】とは、合計年齢 135歳(開始当時)、目標体重135kgとし、トム・カーコー夫妻が日本全国47都道府県を自転車で旅するという壮大な企画から始まりました。なんと、2年かけて、2人は47都道府県を制覇!!
そして、日本だけでは飽き足らず、今度は世界へ飛び出します!
【プロジェクト135 パート2】では、世界遺産を巡りながら、世界の自転車事情をお伝えしていきます。
無知な我が夫婦は、リラの花咲く僧院かと思っていたら、リラ、という土地にある僧院でした。ソフィアの南70kmほどの所にあるブルガリア正教の総本山ともいうべき僧院で1150mの山奥にあり、最盛期には3,600人もの僧が学んでいたそうです。創建は10世紀だそうですが、14世紀頃から時の王の庇護の下で僧院文化が華開きました。500年間にわたってオスマン朝の支配下に入ったブルガリアはキリスト教やブルガリア語の書物が制限されていましたが、この僧院はそれらが黙認されていたそうです。1833年の大火事で建物はおおかた燃えてしまいましたが、その後復旧されて現在の僧院になっています。 | |||
■今回場所は | |||
より大きな地図で プロジェクト135 第27回(ブルガリア)リラの僧院 を表示 |
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この、私のうしろを歩いている人が、現在のブルガリア正教の僧です。 | |||
これがグルリと四方をとり囲む僧院で往時には360房もあったそうです。 | |||
この左手からの僧房にグルリと囲まれているシマシマの柱の建物が聖母誕生教会です。 | |||
正面から見るとこんなに大きな教会が四方を360房の僧房で囲まれています。 | |||
教会の壁には見事なフレスコ画が惜しげなく画かれています。 | |||
イコン画というのでしょうが、聖人が沢山。 | |||
教会の画は聖書の内容を画にしているのが多くて、言葉の分からない人に、天国や地獄を説明する為に画かれているものも多いそうです。 | |||
ブルガリアの教会で見られる壁画はほとんどが屋外に描かれており、しかもローソクの煙で色がくすんでいるのに、ここリラの僧院は外壁の画も多く、極彩色が保たれているのは珍しいそうです。 | |||
壁ばかりでなく天井も見事です。 | |||
今までいろいろな教会などでフレスコ画を見てきましたが、そのほとんどは屋内でした。その上、撮影禁止がほとんどで、結局135に載せられない事が多かったのに、このリラの僧院はフトッ腹でした | |||
お嬢チャン良いものあるヨーと悪が誘っているのでしょうか? | |||
お母さんコワーイ | |||
無礼者、このお札が目に入らぬか! | |||
アッ、それならアッシも持っております。あやしい者ではありません。この袋はおみやげです。なんていってませんヨネ。 聖書ではどんな物語なのでしょう。 |
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ブルガリア最初の文法書を著したネオフィト・リフレスキの墓。ブルガリア語教育に多大な貢献をした人物で、リラの僧院の院長も務めたそうです。教会のウラにありました。 | |||
フレリョの塔。1833年の火災を免れた塔。14世紀に建てられた当時のままだそうで、一階はおみやげ物屋さんになっていました。 | |||
火災を免れた塔の外壁の壁画は当時のままほとんど退色しておらず、充分に鑑賞に堪えうる見事なものです。 | |||
このイスは入場待ちをする為のものだったのでしょうか? | |||
僧院にはこんなに丈夫そうな門があるのです。 | |||
山の中全てが僧院のような所でした。 | |||
さて、本日のお昼はブルガリア名物のタラトールです。ヨーグルトベースの冷静スープ。とてもおいしかったです。 | |||
リラの僧院から次のバラの谷へ行く途中で出会ったトラックです。何年頃のものでしょう? | |||
リラの僧院はとても印象的でした。あんな山奥にブルガリアを代表するブルガリア正教の大本山があるなんてとても不思議です。もっとも日本の有名なお寺で山奥にあるのも何か理由があるのでしょうね。民族とか、宗教とか、平和ボケしている日本では考えられないような大変な時代が、つい20年ほど前まで続いていたブルガリア、地域的にも難しい土地柄なのでしょうネ。次回は楽しくバラ祭りへ行きます。 | |||
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